蔵はそんなことを胸に浮かべた。馬籠を立ってから二日目の午後のこと、街道を通る旅人もすくなくない。猿《さる》を背中にのせた旅の芸人なぞは彼のそばを行き過ぎつつある。あくせくとしたその奔走の途中にふと彼は同門の人たちの方へ思いを馳《は》せ、師平田|鉄胤《かねたね》の周囲にある先輩らをも振り返って見た。木と木と重なり合う対岸の森の深さが、こちらの街道から見られるようなところだ。
「及ばずながら、自分も復古のために働いている。」
 その考えが彼を励ました。彼も、師を忘れてはいなかった。
 家に置いて来た娘お粂のことも心にかかりながら、半蔵はその足で木曾の桟《かけはし》近くまで行った。そこは妻籠あたりのような河原《かわら》の広い地勢から見ると、ずっと谷の狭《せば》まったところである。木曾路での水に近いところである。西よりする旅人は道路に迫った崖《がけ》に添い、湿っぽい坂を降りて行って、めずらしい草や苔《こけ》などのはえている岩壁の下の位置に一軒の休み茶屋を見いだす。半蔵もそこまで行って汗をふいた。偶然にも、通弁の男を連れ、荷物をつけた馬を茶屋の前に停《と》めて、半蔵のそばへ来て足を休める一人の旅
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