ろへ暇乞《いとまご》いに来て、自分はもう古い青山の家に用のないような人間だから、お袋(おまん)の言葉に従ったッて、そう言ったよ。あの時は、お粂さんもまだ植松のお嫁さんに行かない前で、あれほど物を思い詰めるくらいの娘だから、こう顔を伏せて、目の縁《ふち》の紅《あか》く腫《は》れるほど泣きながら、飛騨行きのお父《とっ》さんを見送ったッけが、お粂さんにはその同情があったのだね。あれから半蔵さんが途中の中津川からおれのところへ手紙をよこした。自分はこの飛騨行きを天の命とも考えるなんて。ああいうところが半蔵さんらしい。二年、三年の後、自分はむなしく帰るかもしれない、あるいは骨となって帰るかもしれないが、ただただ天の命を果たしうればそれでいいなんて書いてよこしたことを覚えている。えらい意気込みさね。なんでも飛騨の方から出て来た人の話には、今度の水無神社の宮司さまのなさるものは、それは弘大な御説教で、この国の歴史のことや神さまのことを村の者に説いて聞かせるうちに、いつでもしまいには自分で泣いておしまいなさる。社殿の方で祝詞《のりと》なぞをあげる時にも、泣いておいでなさることがある。村の若い衆なぞはま
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