上にも、床の間にも、古書類が積み重ねてある自分の部屋《へや》へ行ってから、また彼は山林の問題を考えた。
「あれはああと、これはこうと。」
 半蔵のひとり言だ。


 隣家からは陰ながら今度の嘆願書提出のことを心配して訪《たず》ねて来る伏見屋の伊之助があり、妻籠までお民が相談に行った話の様子も聞きたくて、その日の午後のうちには半蔵も馬籠を立てそうもなかった。伊之助は福島支庁の主任のやり口がどうも腑《ふ》に落ちないと言って、いろいろな質問を半蔵に出して見せた。たとえば、この村々に檜《ひのき》類のあるところは人民の私有地たりともことごとく官有地に編み入れるとは。また、たとえば、しいてそれを人民が言い立てるなら山林から税を取るが、官有地にして置けばその税も出さずに済むとはの類《たぐい》だ。
 廃藩置県以来、一村一人ずつの山守《やまもり》、および留山《とめやま》見回りも廃されてから、伊之助もその役から離れて帯刀と雑用金とを返上し、今では自家の商業に隠れている。この人は支庁主任の処置を苦々《にがにが》しく思うと言い、木曾谷三十三か村の人民が命脈にもかかわることを黙って見ていられるはずもないが、自分
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