ざわざ妻籠まで相談に行って来たお民と同じ心配を分けないではない。年ごろの娘を持つ母親の苦労はだれだって同じだと言いたげなお民の顔色を読まないでもない。まだお粂にあわない人は、うわさにだけ聞いて、どんなやせぎすな、きゃしゃな子かと想像するが、あって見て色白な肥《ふと》ったからだつきの娘であるには、思いのほかだとよく人に言われる。そのからだにも似合わないような傷《いた》みやすい小さなたましいが彼女の内部《なか》には宿っていた。お粂はそういう子だ。父祖伝来の問屋役廃止以来、本陣役廃止、庄屋役廃止と、あの三役の廃止がしきりに青山の家へ襲って来る時を迎えて見ると、女一生の大事ともいうべき親のさだめた許嫁《いいなずけ》までが消えてゆくのを見た彼女は、年取った祖母たちのように平気でこの破壊の中にすわってはいられなかった子だ。伊那の南殿村、稲葉の家との今度の縁談がおまんの世話であるだけに、その祖母に対しても、お粂は一言《ひとこと》口出ししたこともない。半蔵らの目に映るお粂はただただひとり物思いに沈んでいる娘である。
ふと、半蔵は歩きながら思い出したように、店座敷の方へ通う廊下の板を蹴《け》った。机の
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