んからお粂にと言って、お民は紙に包んだ美しい染め糸なぞを娘の前にも取り出す。お徳の背中からおろされた四男の和助はその皆の間をはい回った。
半蔵はすでに村の髪結い直次を呼び寄せ、伸びた髭《ひげ》まで剃《そ》らせて妻を待ち受けているところであった。鈴《すず》の屋《や》の翁《おきな》以来、ゆかりの色の古代紫は平田派の国学者の間にもてはやされ、先師の著書もすべてその色の糸で綴《と》じられてあるくらいだが、彼半蔵もまたその色を愛して、直次の梳《す》いてくれたのを総髪《そうがみ》にゆわせ、好きな色の紐《ひも》を後ろの方に結びさげていた。吉左衛門の時代から出入りする直次は下女のお徳の父親に当たる。
「お民、おれは王滝の方へ出かけるんだぜ。」
それをみんなまで言わせないうちに、お民は夫の様子をみて取った。妻籠の兄を見て来た目で、まったく気質のちがった夫の顔をながめるのも彼女だ。その時、半蔵は店座敷の方へ行きかけて、
「おれは、いつでも出かけられるばかりにして、お前の帰りを待っていたところさ。お前の留守に、お母《っか》さんの枕屏風《まくらびょうぶ》もできた。」
そういう彼とても、娘の縁談のことでわ
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