商であった。そのくせ、多吉は西洋のことなぞに一向|無頓着《むとんちゃく》で、主人が西洋人から手に入れて珍重するという寒暖計の性質も知らず、その気候温度の昇《のぼ》り降りを毎日の日記につけ込むほどの主人が燃えるような好奇心をもよそに、暇さえあれば好きな俳諧《はいかい》の道に思いを潜めるような人ではあったが。実際、気の早い手合いの中には、今に日本の言葉もなくなって、皆英語の世の中になると考えるものもある。皮膚の色も白く鼻筋もよくとおった西洋人と結婚してこそ、より優秀な人種を生み出すことができると考えるものもある。こうなると、芝居《しばい》の役者まで舞台の上から見物に呼びかけて、
「文明開化を知らないものは、愚かでござる。」
 と言う。五代目|音羽屋《おとわや》のごときは英語の勉強を始めたと言って、俳優ながら気の鋭いものだと当時の新聞紙上に書き立てられるほどの世の中になって来ていた。
 かくも大きな洪水《こうずい》が来たように、慶応四年開国以来のこの国のものは学問のしかたから風俗の末に至るまでも新規まき直しの必要に迫られた。日本の中世的な封建制度が内からも外からも崩《くず》れて行って、新社会
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