際会した。半蔵が同門の諸先輩ですら、ややもすれば激しい潮流のために押し流されそうに見えて来た。いったい、幕末から御一新のころにかけて、あれほどの新機運をよび起こしたというのも、その一つは大義名分の声の高まったことであり、その声は水戸藩にも尾州藩にも京都儒者の間にも起こって来た修史の事業に根ざしたことであった。そういう中で、最も古いところに着眼して、しかも最も新しい路をあとから来るものに教えたのは国学者仲間の先達《せんだつ》であった。あの賀茂真淵《かものまぶち》あたりまでは、まだそれでもおもに万葉を探ることであった。その遺志をついだ本居宣長が終生の事業として古事記を探るようになって、はじめて古代の全き貌《すがた》を明るみへ持ち出すことができた。そこから、一つの精神が生まれた。この精神は多くの夢想の人の胸に宿った。後の平田篤胤、および平田派諸門人が次第に実行を思う心はまずそこに胚胎《はいたい》した。なんと言っても「言葉」から歴史にはいったことは彼らの強味で、そこから彼らは懐古でなしに、復古ということをつかんで来た。彼らは健全な国民性を遠い古代に発見することによって、その可能を信じた。それに
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