》の中津川まで八十六里余。さらに中津川から二十三里も奥へはいらなければ、その水無神社に達することができない。旅行はまだまだ不便な当時にあって、それだけも容易でない上に、美濃の加子母村《かしもむら》あたりからはいる高山路《たかやまみち》と来ては、これがまた一通りの険しさではない。あの木曾谷から伊那の方へぬける山道ですら、昼でも暗い森に、木から落ちる山蛭《やまびる》に、往来《ゆきき》の人に取りつく蚋《ぶよ》に、勁《つよ》い風に鳴る熊笹《くまざさ》に、旅するものの行き悩むのもあの山間《やまあい》であるが、音に聞こえた高山路はそれ以上の険しさと知られている。
 この飛騨行きは、これを伝えてくれた恭順を通して田中不二麿からも注意のあったように、左遷なぞとは半蔵の思いもよらないことであった。たとい教部省あたりの同僚から邪魔にされて、よろしくあんな男は敬して遠ざけろぐらいのことは言われるにしても、それを意《こころ》にかける彼ではもとよりない。ただ、そんな山間に行って身を埋《うず》めるか、埋めないかが彼には先決の問題で、容易に決心がつきかねていた。
 その時になると、多くの国学者はみな進むに難い時勢に
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