たが、それでも鉄胤老先生が神祇官判事として在職した当時の記録は、いろいろと役所に残っていた。ちょうど草の香でいっぱいな故園を訪《おとな》う心は、半蔵が教部省内の一隅《いちぐう》に身を置いた時の心であった。彼はそれらの諸記録をくりひろげるたびに、あそこにだれの名があった、ここにだれの名があったと言って見て、平田一門の諸先輩によって代表された中世否定の運動をそこに見渡すことができるように思った。別当社僧の復飾に、仏像を神体とするものの取り除きに、大菩薩《たいぼさつ》の称号の廃止に、神職にして仏葬を執り行なうものの禁止に――それらはすべて神仏分離の運動にまであふれて行った国学者の情熱を語らないものはない。ある人も言ったように、従来|僧侶《そうりょ》でさえあれば善男善女に随喜|渇仰《かつごう》されて、一生食うに困らず、葬礼、法事、会式《えしき》に専念して、作善《さぜん》の道を講ずるでもなく、転迷開悟を勧めるでもなく、真宗以外におおぴらで肉食妻帯する者はなかったが、だいこく、般若湯《はんにゃとう》、天がい等の何をさす名か、知らない者はなかったのが一般のありさまであった。「されば由緒《ゆいしよ》も
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