みずしい髪の髻《もとどり》を古代紫の緒《ひも》で茶筅風《ちゃせんふう》に結び、その先を前額の方になでつけたところは、これが六十一歳の翁かと思われるほどの人がその画像の中にいた。翁は自意匠よりなる服を造り、紗綾形《さやがた》の地紋のある黒縮緬《くろちりめん》でそれを製し、鈴屋衣《すずのやごろも》ととなえて歌会あるいは講書の席上などの式服に着用した人であるが、その袖口《そでぐち》には紫縮緬の裏を付けて、それがまたおかしくなかったと言わるるほどの若々しさだ。早く老《ふ》けやすいこの国の人たちの中にあって、どうしてそれほどの若さを持ち続け得たろうかと疑われるばかり。こんな人が誤解されやすいとしたら、それこそ翁の短所からでなくて、むしろ晩年に至るまでも衰えず若葉してやまなかったような、その長い春にこもる翁の長所からであったろうと彼には思われる。彼の心に描く本居宣長とは、あの先師平田篤胤に想像するような凜々《りり》しい容貌《ようぼう》の人ともちがって、多分に女性的なところを持っていた心深い感じのする大先輩であった。そして、いかにもゆったりとその生涯《しょうがい》を発展させ、天明《てんめい》の昔を歩
前へ 次へ
全489ページ中159ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング