を海の外に費やされた。外国交渉の不結果、随員の不和、言語の困難――これを一行総員百七名からの従者留学生を挙《あ》げて国を離れたことに思い比べ、品川の沖には花火まで揚げて見送るもののあった出発当時の花やかさに思い比べると、おそらく旅の末はさびしく、しかも苦《にが》い経験であったろう。たとい大使らの欧米訪問が、近代国家の形態を視察することに役立ち、諸外国に対する新政府の位置を強固にすることに役立ち、率先奮励して開明の域に突進する海外留学の気象を誘導することにも役立ったとしても、その長い月日の間、岩倉、大久保、木戸らのごとき柱石たる人々が廃藩置県直後のこの国を留守にしたことは、容易ならぬ結果を招いた。郡県の政治は多くの人民の期待にそむき、高松、敦賀《つるが》、大分《おおいた》、名東《みょうとう》、北条《ほうじょう》、その他|福岡《ふくおか》、鳥取《とっとり》、島根諸県には新政をよろこばない土民が蜂起《ほうき》して、斬罪《ざんざい》、絞首、懲役等の刑に処せられた不幸なものが万をもって数うるほどの驚くべき多数に上ったのも、それらは皆大使一行が留守中にあらわれて来た現象であった。のみならず、時局の
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