不安に刺激され、大使らの留守中を好機として、武力による改革を企つるものが生まれた。
 いったい、薩長土《さっちょうと》三藩が朝廷に献じた兵は皆、東北戦争当時の輝かしい戦功の兵である。彼らが位置よりすれば、それらの兵をもって朝廷の基礎を固め、廃藩を断行し、長く徳川氏の旗本八万騎のごときものとなって、すこぶる優待さるるもののように考えた者が多かったとのことである。高知藩の谷干城《たにたてき》のような正直な人はそのことを言って、飛鳥尽きて良弓収まるのたとえを引き、彼ら戦功の兵も少々|厄介視《やっかいし》せらるる姿になって行ったと評した。当時軍隊統御の困難は後世から想像も及ばないほどで、時事を慨し、種々《さまざま》な議論を起こし、陸軍省に迫り、山県近衛都督《やまがたこのえととく》ですらそのためにしばしば辞職を申しいで、後には山県もその職を辞して西郷隆盛が都督になったほどであったとか。近衛兵の年限も定まって一般徴兵の制による事と決してからは、長州以外の二藩の兵は非常に不快の念を抱《いだ》いた。ことに徴兵主義に最も不満なものは桐野利秋《きりのとしあき》であったという。西の勝利者、ないし征服者の不平
前へ 次へ
全489ページ中138ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング