はまだ顔も腫《は》れ、短刀で刺した喉の傷口に巻いてある白い布も目について、見るからに胸もふさがるばかり。変わり果てたこの娘の相貌《そうぼう》には、お民が驚きも一通りではない。彼女は悲しがって、娘を助けたさの母の一心から、裏の稲荷《いなり》へお百度なぞを踏みはじめている。
 木曾谷でも最も古い家族の一つと言わるる青山のような家に生まれながら、しかもはなやかな結婚の日を前に控えて、どうしてお粂がそんな了簡《りょうけん》違いをしたろうということは、彼女の周囲にある親しい人たちの間にもいろいろと問題になった。寿平次の妻お里は妻籠《つまご》から、半蔵が旧《ふる》い弟子《でし》の勝重《かつしげ》は落合《おちあい》から、いずれも驚き顔に半蔵のところへ見舞いに来て、隣家の主人伊之助と落ち合った時にも、その話が出る。娘心に、この世をはかなんだものだろうか、と言って見るのは勝重だ。もっと学問の道にでも進みたかったものか、と言って見るのはお里だ。十八やそこいらのうら若さで、そうはっきりした考えから動いたことでもないのであろう、おそらく当人もそこまで行くつもりはなかったのであろう、それにしてもだれかあの利発な
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