っている。そこいらには、いたずらざかりな三男の森夫《もりお》までが物めずらしそうにのぞきに来ている。
 そこは馬籠《まごめ》の半蔵の家だ。ただの住宅としてはもはや彼の家も広過ぎて、いたずらに修繕にのみ手がかかるところから、旧《ふる》い屋敷の一部は妻籠《つまご》本陣同様取り崩《くず》して桑畠《くわばたけ》にしたが、その際にも亡《な》き父|吉左衛門《きちざえもん》の隠居所だけはそっくり残して置いてある。おまんはその裏二階から桑畠のわきの細道を歩いて、食事のたびごとに母屋《もや》の方へと通《かよ》って来ている。その年、明治六年の春はおまんもすでに六十五歳の老婦人であるが、吉左衛門を見送ってからは髪も切って、さびしい日を隠居所に送っているので、この継母を慰めるために半蔵は自作の歌を紙に書きつけ、それを自意匠《じいしょう》の屏風に造らせたのであった。高さ二尺あまりほどのものである。杉柾《すぎまさ》の緑と白い紙の色との調和も、簡素を愛する彼の好みをあらわしていた。これを裏二階のすみにでも置いて戸障子のすきまから来る風のふせぎとしてもよし、風邪《かぜ》にでも冒された日の枕もとに置いて訪《おとな》う人
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