かったとしたら、火はたちまち本堂の障子に燃え上がったであろう、万一その火が五百二十|把《ぱ》からの萱《かや》をのせた屋根へでも燃え抜けたが最後、仏壇や位牌堂《いはいどう》はもとより、故伏見屋金兵衛が記念として本堂の廊下に残った大太鼓も、故|蘭渓《らんけい》の苦心をとどめた絵襖《えぶすま》も、ことごとく火となったであろう、そうなれば客殿、方丈、庫裏《くり》の台所も危ない、ひょっとすると寺の土蔵まで焼け落ちたかもしれない、こんな事が公然と真昼間に行なわれて、しかもキ印《じるし》のする事でないとしたら、自分なぞは首をくくって死んでしまいたいと言うものがある。幸いこの放火は大事に至らなかったようなものの、警察の分署へ聞こえたら必ずやかましかろう、もし青山の親戚《しんせき》一同にこの事を内済にする意向があるなら、なぜ早くお師匠さまを安全な場所に移し、厳重な見張りをつけ、村のもの一同もまた安心して眠られるような適当な方法を取らないのかと息まくものもある。
 半蔵の従兄《いとこ》、栄吉は親類仲間でも決断のある人である。事ここに至っては栄吉も余儀ない場合であるとして、翌朝は早くから下男の佐吉に命じ裏の木小屋の一部を片づけさせ、そこを半蔵が座敷牢《ざしきろう》の位置と定めた。早速村の大工をも呼びよせて、急ごしらえの高い窓、湿気を防ぐための床張《ゆかば》りから、その部屋に続いて看護するものが寝泊まりする別室の設備まで、万端手落ちのないように工事を急がせた。栄吉はまた、町の重立った人々にも検分に来てもらって、木小屋のなかの西のはずれを座敷牢とし、用心よくすべきところには鍵《かぎ》をかけるようにしたことなぞを説き明かした。なにしろ背は高く、足袋《たび》は図《ず》なしと言われるほど大きなものをはき、腕の力とても相応にある半蔵のような人をいれる場処とあって、障子を立てる部分には特にその外側に堅牢な荒い格子《こうし》を造りつけることにした。

       二

 座敷牢《ざしきろう》はできた。そこで栄吉は親戚《しんせき》旧知のものを旧本陣の一室に呼び集めてそのことを告げ、造り改めた裏の木小屋の一部にはすでに畳を入れるまでの準備もととのったことを語り、さてそちらの方へ半蔵を導くには、どう彼を説得したものかの難題を一同の前に持ち出した。この説得役には笹屋庄助《ささやしょうすけ》が選ばれた。庄助なら半蔵の気に入りで、万福寺境内からも彼を連れ戻《もど》って来たように、この場合とても彼を言いなだめることができようということで。
 いかな旧|組頭《くみがしら》の庄助もこの役回りには当惑した。庄助が店座敷の方へ行って見ると、ちょうど半蔵はひとりいる時で、円形《まるがた》の鏡なぞを取り出し、それに息を吹きかけ、しきりに鏡の面をふいているところであった。それはずっと以前に彼の手に入れた古鏡で、裏面には雲形の彫刻などがしてあり、携帯用の紐《ひも》の付いたものである。この旧《ふる》い屋敷の母屋《もや》を医師小島拙斎に貸し渡すようになってからも、上段の間だけは神殿として手をつけずにあって、その床柱の上に掛けてあったものである。長いこと磨師《とぎし》の手にもかけないで、うっちゃらかしてあったのもその鏡である。
「庄助さ、お互いに年を取ると顔の形も変わるものさね。なんだかこの節は自分の顔が自分じゃないような気がする。」
 半蔵はあまり周囲のものが自分を病人扱いにするので、古い鏡なぞを取り出して見る気になったというふうに、それを庄助に言って見せた。彼はよくも映らない自分の姿を見ようとして、しきりにその曇った鏡に見入っていた。そして、言葉をついで、
「そう言えば、この二、三日はおれも弱ったぞ。恐ろしいやつに襲われるような気がして、夜もろくろく休めなかった。」
「お師匠さま、お前さまはよく敵が来るなんて言わっせるが、そんなものがどこにおらすか。」と庄助は言う。
「そりゃ、お前たちに見えなくても、おれの目には見える。あいつはいろいろな仮面《めん》をかぶって来るやつだ。化けて来るやつだ。どうして、油断もすきもあったもんじゃないぞ。恐ろしい、恐ろしい――庄助さ、大きな声じゃ言えないが、この古い家の縁の下にだってあの化け物は隠れているよ。」
 そう言って、半蔵はなおも鏡の面を根気にふきながら、相手の庄助に身をすくめて見せた。
 その時まで庄助は栄吉らから頼まれて来たことをそこへ切り出そうとして、しかもそれを言い得ないでいた。庄助は正直一徹で聞こえた男で、こんな場合に一策を案じるというふうの人ではなかったから、うまいことを言って半蔵を連れ出すつもりはもとよりなかったが、しかし裏の木小屋の方に彼を待ち受けるものが座敷牢とは言いじょう、一面にはそれは病室に相違ないから、その病室での養生《ようじょう》を
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