っていることもある。行くものはさっさと行け。それを半蔵はいろいろなことで娘に教えて見せていたし、お民はまたお民で、土蔵のなかにしまってある古い雛《ひな》まで娘に持たせてやりたいと言って、早くお粂の身を堅めさせ、自分も安心したいというよりほかの念慮も持たないのであった。
 こういう時の半蔵夫婦の相談相手は、栄吉(半蔵の従兄《いとこ》)と清助とであった。例の囲炉裏ばたに続いた寛《くつろ》ぎの間《ま》にはそれらの人たちが集まって、嫁女の同伴人はだれとだれ、供の男はだれにするかなぞとの前もっての相談があった。妻籠の寿平次の言い草ではないが、娘が泣いてもなんでも皆で寄って祝ってしまえ、したく万端手落ちのないように取りはからえというのが、栄吉らの意見だった。
「半蔵さま、お粂さまの荷物はどうなさるなし。」
 そんなことを言って、峠村の平兵衛も半蔵を見にやって来る。周旋奔走を得意にするこの平兵衛は、旧組頭の廃止になった今でも、峠のお頭《かしら》で通る。
「荷物か。荷物は式のある四、五日前に送り届ければいい。当日は混雑しないようにッて、先方から言って来た。荷回し人はおぼしめし次第だ、そんなことも言って来たが、中牛馬《ちゅうぎゅうば》会社に頼んで、飯田まで継立《つぎた》てにするのが便利かもしれないな。」
 半蔵の挨拶《あいさつ》だ。
 九月四日は西が吹いて、風当たりの強いこの峠の上を通り過ぎた。払暁《あけがた》はことに強く当てた。青山の家の裏にある稲荷《いなり》のそばの栗《くり》もだいぶ落ちた。お粂は一日|機《はた》に取りついて、ただただ表情のない器械のような筬《おさ》の音を響かせていたが、弟宗太のためにと丹精《たんせい》した帯地をその夕方までに織り終わった。そこへお民が見に来た。お粂も織ることは好きで、こういうことはかなり巧者にやってのける娘だ。まだ藍《あい》の香のするようなその帯地の出来をお民もほめて、やがて勝手の方へ行ったあとでも、お粂はそこを動かずにいた。仕上げた機のそばに立つ彼女の娘らしい額《ひたい》つきは父半蔵そのままである。黒目がちな大きな目は何をみるでもない。じっとそこに立ったまましばらく動かずにいるこの娘の容貌《ようぼう》には、一日織った疲れに抵抗しようとする表情のほかに浮かぶものもない。涙一滴流れるでもない。しかもその自分で自分の袂《たもと》をつかむ手は堅く握りし 
前へ 
次へ 
全245ページ中49ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング