わせる。とかく物言いのたどたどしいあのお粂とても、彼女をこの世に育ててくれた周囲の人々に対する感謝を忘れるような娘でないことは、半蔵にもそれが感じられていた。それらの人々に対する彼女の愛情は平素のことがよくそれを語っていた。十八歳のその日まで、ただただ慈《いつく》しみをもって繞《めぐ》ってくれる周囲の人々の心を落胆させてこころよしとするような、そんな娘でないことは半蔵もよく知って、その点にかけては彼も娘に心を許していたのである。
 今さら、朝鮮あたりの娘のことをここに引き合いに出すのもすこし突然ではあるが、両班《ヤンパン》という階級の娘の嫁に行く夜を見たという人の話にはこんなことがある。赤、青、黄の原色美しい綾衣《あやぎぬ》に、人形のように飾り立てられた彼女は、そこに生けるものとは思われなかったとか。飽くまで厚く塗り込められた白粉《おしろい》は、夜の光にむしろ青く、その目は固く眠って、その睫毛《まつげ》がいたずらに長いように思われたとか。彼女は全く歩行する能力をも失ったかのようにして人々の肩にかつがれ、輿《こし》に乗せられて生贄《いけにえ》を送るというふうに、親たちに泣かれて嫁《とつ》いだのであった。きけば、彼女はその夜から三日の間は昼夜をわかたず、その目を開くことができないのであるという。それは開こうとしても開き得ないのであった。彼女の目は、上下の睫毛《まつげ》を全く糊《のり》に塗り固められ(またある地方ではきわめて濃い、固い鬢《びん》つけ油を用う)、閉じられているのであったという。これは何を意味するかなら、要するに「見るな」だ。風俗も異なり習慣も異なる朝鮮の両班《ヤンパン》と、木曾の旧《ふる》い本陣とは一緒にはならないが、しかし青山の家でもやはりその「見るな」で、娘お粂に白無垢《しろむく》をまとわせ、白の綿帽子をかぶらせることにして、その一生に一度の晴れの儀式に臨ませる日を待った。すでに隣家伏見屋の伊之助夫婦からは、お粂のために心をこめた贈り物がある。桝田屋《ますだや》からは何を祝ってくれ、蓬莱屋《ほうらいや》からも何を祝ってくれたというたびに、めずらしいもの好きの弟たちまで大はしゃぎだ。しかし、かんじんのお粂はどうかすると寝たりなぞする。彼女は、北の上段の間《ま》に人を避け、産土神《うぶすな》さまの祭ってある神殿に隠れて、うす暗くなるまでひとりでそこにすわ 
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