ゃありませんか。」とお民が言い出した。「ごらんなさい、お粂が嫁《かたづ》いて行く当日に、鉄漿親《かねおや》へ出す土産《みやげ》の事まで先方から気をつけてよこして、反物《たんもの》で一円くらいのことにしたいと言って来ましたよ。お粂に付き添いの女中もなるべくは省いてもらいたいが、もし付けてよこすなら、その人だけ四日前によこしてもらいたい、そんなことまで言って来ましたよ。」
「四日前とはどういうつもりだい。」
「そりゃ、あなた、式の当日となってまごつかないように、部屋に慣れて置くことでしょうに。よほどの親切がなけりゃ、そんなことまで先方から気をつけてよこすもんじゃありません。ありがたいと思っていい。あなたからもそのことをお粂によく言ってください。」
「待ってくれ。そりゃおれからも言って置こうがね、いったい、この縁談はお粂だっていやじゃないんだろう。ただ娘ごころに決心がつきかねているだけのことなんだろう。おれの家じゃお前、お母《っか》さん(おまんのこと)は神聖な人さ。その人があれならばと言って、見立ててくだすったお婿さんだもの、悪かろうはずもなかろうじゃないか。」
「何にしても、ああ、お粂のように黙ってしまったんじゃ、どうしようもありませんよ。何を造ってくれても、よろこびもしない。わたしも一つあの子に言って聞かせるつもりで、このお嫁入りのしたくが少しぐらいのお金でできると思ったら、それこそ大違いだよ。こんなに皆が心配してあげる。お前だってよっぽど本気になってもらわにゃならないッて、ね。その時のあれの返事に、そうお母《っか》さんのように心配してくださるな、わたしもお父《とっ》さんの娘です、そう言うんです。」
「……」
「そうかと思うと、神霊《みたま》さまと一緒にいれば寂しくない、どうぞ神霊さま、わたしをお守りくださいなんて、そんなことを言い出すんです。」
「……」
「まあ、あれでお粂も、お父さん思いだ。あなたの言うことならよく聞きますね。あなたからもよく言って聞かせてください。」
「そうお民のように、心配したものでもなかろうとおれは思うよ。いざとなってごらん、お粂だって決心がつこうじゃないか。」
 半蔵は下駄《げた》を脱ぎ捨てて、その時、店座敷の畳の上を歩き回った。庭の牡丹《ぼたん》へ来る風の音までがなんとなく秋めいて、娘が家のものと一緒に暮らす日の残りすくなになったことを思
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