晴れ着がその襖にかかった。二尺あまりの振袖からは、紅梅のような裏地の色がこぼれて、白と紅とのうつりも悪くなかったが、それにもまして半蔵の心を引いたのは衣裳全体の長さから受ける娘らしい感じであった。卍《まんじ》くずしの紗綾形《さやがた》模様のついた白綾子《しろりんず》なぞに比べると、彼の目にあるものはそれほど特色がきわだたないかわりに、いかにも旧庄屋|風情《ふぜい》の娘にふさわしい。色は清楚《せいそ》に、情は青春をしのばせる。
不幸にも、これほどお民の母親らしい心づかいからできた新調の晴れ着も、さほど娘を楽しませなかった。余すところはもはや二十日ばかり、結婚の日取りが近づけば近づくほど、ほとほとお粂は「笑い」を失った。
七
青山の家の表玄関に近いところでは筬《おさ》の音もしない。弟宗太のためにお粂が織りかけていた帯は仕上げに近かったが、機《はた》の道具だけが板敷きのところに休ませてある。お粂も織ることに倦《う》んだかして、そこに姿を見せない時だ。
お民は囲炉裏《いろり》ばたからこの機のそばを通って、廊下つづきの店座敷の方に夫を見に来た。ちょうど半蔵は部屋《へや》にいないで、前庭の牡丹《ぼたん》の下あたりを余念もなく掃いているところであった。
「お民、お粂の吾家《うち》にいるのも、もうわずかになったね。」
と半蔵が竹箒《たけぼうき》を手にしながら言った。
なんと言っても、人|一人《ひとり》の動きだ。娘を無事に送り出すまでの親たちの心づかいも、容易ではなかった。ことに半蔵としては眼前の事にばかり心を奪われている場合でもなく、同門の先輩正香ですらややもすれば押し流されそうに見えるほど、進むに難《かた》い時勢に際会している。この半蔵は庭|下駄《げた》のまま店座敷の縁先に来て腰掛けながら、
「おれもまあ、考えてばかりいたところでしかたがない。あの暮田さんを見送ってからというもの、毎日毎日学校から帰ると腕ばかり組んでいたぞ。」
と妻に言って見せる。
お民の方でもそれはみて取った。彼女は山林事件当時の夫に懲りている。娘の嫁入りじたくもここまで来た上は、男に相談してもしかたのないようなことまでそう話しかけようとはしていない。それよりも、どんな着物を造ってくれても楽しそうな顔も見せないお粂の様子を話しに来ている。
「でも、あの稲葉の家も、行き届いたものじ
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