うに、そこに軽やかな空気をつくる。走る。ころげ回る。その一つ一つが示すしなやかな姿態は、まるで、草と花のことだけしか思わない娘たちか何かを見るように。
 その辺は龍《りゅう》の髯《ひげ》なぞの深い草叢《くさむら》をなして、青い中に点々とした濃い緑が一層あたりを憂鬱《ゆううつ》なくらいに見せているところである。あちこちに集まる猫はこの苔蒸《こけむ》してひっそりとした坪庭の内を彼らが戯れの場所と化した。一方の草の茂みに隠れて、寄り添う二匹の見慣れない猫もあった。ふと、お民が気がついた時は、下女のお徳まで台所の方から来た。その庭にばかり近所の猫が入り込むのを見ると、お徳は縁先にある手洗鉢《ちょうずばち》の水でもぶッかけてやりたいほど、「うるさい、うるさい。」と言っていながら、やっぱり猫のような動物の世界にも好いた同志というものはあると知った時は、廊下の柱のそばに立って動かなかった。ちょうど、お粂《くめ》も表玄関に近い板敷きの方で織りかけていた機《はた》を早じまいにして、その廊下つづきの方へ通って来た。そこはお民やお粂が髪をとかす時に使う小さな座敷である。その時、お民は廊下の離れた位置から娘の様子をよく見ようとしたが、それはかなわなかった。というのは、お粂は見るまじきものをその納戸《なんど》の窓の下に見たというふうで、また急いで西側の廊下の方へ行って隠れたからで。


「あなた、ようやくわたしにはお粂の見通しがつきましたよ。」
 と言って、お民が店座敷へ顔を出した時は、半蔵は客の待ちどおしさに部屋《へや》のなかを静かに歩き回っていた。お民に言わせると、女の男にあう路《みち》は教えられるまでもないのに、あれほど家のおばあさんから女は嫁《とつ》ぐべきものと言い聞かせられながら、とかくお粂が心の進まないらしいのは、全くその方の知恵があの子に遅れているのであろうというのであった。もっとも、その他の事にかけては、お粂は年寄りのようによく気のつく娘で、母親の彼女よりも弟たちの世話を焼くくらいであるが、とも付け添えた。
「何を言い出すやら。」
 半蔵は笑って取り合わなかった。
 どうして半蔵がこんなに先輩の正香を待ったかというに、過ぐる版籍奉還のころを一期とし、また廃藩置県のころを一期とする地方の空気のあわただしさに妨げられて、心ならずも同門の人たちとの往来から遠ざかっていたからで。それ
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