ばかりではない。復古の道、平田一門の前途――彼にはかずかずの心にかかることがあるからであった。
 正香は一人の供を連れて、その日の夕方に馬で着いた。明荷葛籠《あきにつづら》の蒲団《ふとん》の上なぞよりも、馬の尻《しり》の軽い方を選び、小付《こづけ》荷物と共に馬からおりて、檜笠《ひのきがさ》の紐《ひも》を解いたところは、いかにもこの人の旅姿にふさわしい。
「やあ。」
 正香と半蔵とが久々の顔を合わせた時は、どっちが先とも言えないようなその「やあ」が二人《ふたり》の口をついて出た。客を迎えるお民のうしろについて、いそいそと茶道具なぞ店座敷の方へ持ち運ぶ娘までが、日ごろ沈みがちなお粂とは別人のようである。子供本位のお民はうれしさのあまり、勝手のいそがしさの中にもなおよく注意して見ると、娘はすぐ下の十六歳になる弟に、
「宗太、きょうのお客さまは平田先生の御門人だよ。」
 と言って見せるばかりでなく、五歳になる弟まで呼んで、
「森夫《もりお》もおいで。さあ、おベベを着かえましょうね。」
 と、よろこぶ様子である。まるで、父の先輩が彼女のところへでも訪れて来てくれたかのように。これにはお民も驚いて、さっぱりとした涼しそうなものに着かえている自分の娘を見直したくらいだ。そこへ下男の佐吉も、山家らしい風呂《ふろ》の用意がすでにできていることを店座敷の方へ告げに行く。
 半蔵は正香に言った。
「暮田さん、お風呂《ふろ》が沸いてます。まず汗でもお流しになったら。」
「じゃ、一ぱいごちそうになるかな。木曾まで来ると、なんとなく旅の気分がちがいますね。ここは山郭公《やまほととぎす》の声でも聞かれそうなところですね」

       四

 やがて半蔵の前に来てくつろいだ先輩は、明治二年に皇学所監察に進み、同じく三年には学制取調御用掛り、同じく四年にはさらに大学出仕を仰せ付けられたほどの閲歴をもつ人であるが、あまりに昇進の早いのを嫉《ねた》む同輩のために讒《ざん》せられて、山口藩和歌山藩等にお預けの身となったような境涯《きょうがい》をも踏んで来ている。今度、賀茂《かも》神社の少宮司《しょうぐうじ》に任ぜられて、これから西の方へ下る旅の途中にあるという。
 半蔵は日ごろの無沙汰《ぶさた》のわびから始めて、多事な街道と村方の世話に今日まであくせくとした月日を送って来たことを正香に語った。木曾福島
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