るからね。しかし、今度のような場合は特別さ。今度だけはお前、しかたがないとしても、旦那《だんな》(吉左衛門)が半蔵にのこして置いて行った先祖代々からの山や田地はまだ相応にあるはずだ。あれが舵《かじ》の取りよう一つで、この家がやれないことはないとわたしは思うよ。無器用に生まれついて来たのは性分《しょうぶん》でしかたがないとしても、もうすこし半蔵には経済の才をくれたいッて、旦那が達者《たっしゃ》でいる時分にはよくそのお話さ。」
そういうおまんは何かにつけて自分の旦那の時代を恋しく思い出している。この宿場の全盛なころには街道を通る大名という大名、公役という公役、その他、世に時めく人たちで、青山の家の上段の間に寝泊まりしたり休息したりして行かないものはなかった。過ぐる年月の間の意味ある通行を数えて見ても、彦根《ひこね》よりする井伊|掃部頭《かもんのかみ》、名古屋よりする成瀬隼人之正《なるせはやとのしょう》、江戸よりする長崎奉行水野|筑後守《ちくごのかみ》、老中|間部下総守《まなべしもうさのかみ》、林|大学頭《だいがくのかみ》、監察岩瀬|肥後守《ひごのかみ》から、水戸の武田耕雲斎《たけだこううんさい》、旧幕府の大目付《おおめつけ》で外国奉行を兼ねた山口|駿河守《するがのかみ》なぞまで――御一新以前だけでも、それらの歴史の上の人物はいずれもこの旧本陣に時を送って行った。それを記念する意味からも、おまんは自分の忘れがたい旦那と生涯《しょうがい》を共にしたこの青山の家をそう粗末には考えられないとしていた。たとい、城を枕《まくら》に討《う》ち死《じ》にするような日がやって来ても、旧本陣の格式は崩《くず》したくないというのがおまんであった。
お民は母屋《もや》の方へ戻《もど》りかける時に言った。
「お母《っか》さん、あなたのようにそう心配したらきりがない。見ていてくださいよ。わたしもこれから精いっぱい働きますからね。そう言えば、稲葉の家の方からは、来月の二十二日か、二十三日が、日が良いと言って来てありますよ。まあ、わたしもぐずぐずしちゃいられない。」
三
その月の末、平田同門の先輩の中でもことに半蔵には親しみの深い暮田正香《くれたまさか》の東京方面から木曾路《きそじ》を下って来るという通知が彼のもとへ届いた。
半蔵は久しぶりであの先輩を見うるよろこびを妻に分け
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