ころで、村には読み書きすることのきらいな少年も多く、彼の周囲はまだまだ多くの迷信にみたされていた。どうかするとにわかに顔色も青ざめ、口から泡《あわ》を出す子供なぞがあると、それが幼いものの病気とは見られずに、狐《きつね》のついた証拠だと村の人から騒がれるくらいの時だ。
 静《しず》の屋《や》へ通《かよ》って来る半蔵が教え子はひとり馬籠生まれのものに限らなかった。一里も二里もある山道を草鞋《わらじ》ばきでやって来るような近村の少年もめずらしくない。湯舟沢からも、山口からも、あるいは妻籠《つまご》からも、馬籠には彼を師と頼んで何かと教えを受けに来る二、三の女の子もある。そういう中に置いて見ると、さすがは伏見屋の三郎と梅屋の益穂との進み方は目立った。この二人《ふたり》はすでに漢籍も『通鑑《つがん》』を読む。いつのまにか少年期から青年期に移る年ごろにも達している。三郎らに次いでは、村社|諏訪《すわ》分社の禰宜《ねぎ》松下千里の子息にあたる千春が荒町から通って来る。和助と同年の千春もすでに十五歳だ。「お師匠さま、お師匠さま」と言って慕って来るこれらの教え子の書体までが自分のに似通うのを見るたびに、半蔵は東京の方にある和助のことをよく思い出すのであった。
 彼はお民に言った。
「妙なものだなあ。おれなぞはおまえ、明日を待つような量見じゃだめだというところから出発した。明日は、明日はと言って見たところで、そんな明日はいつまで待っても来やしない。今日はまた、またたく間《ま》に通り過ぎる。過去こそ真《まこと》だ――それがおまえ、篤胤《あつたね》先生のおれに教えてくだすったことさ。だんだんこの世の旅をして、いろいろな目にあううちに、いつのまにかおれも遠く来てしまったような気がするね。こうして子供のことなぞをよく思い出すところを見ると、やっぱりおれというばかな人間は明日を待ってると見える。」
 こんな寝言もちんぷん、かんぷんとしか聞こえないお民の耳には、めずらしくも禁酒を思い立ったという夫の言葉の方が彼女にはうれしかった。
「なあ、お民。どうも酒はよくない。飲み過ぎるとおれは眠られない。こないだは、宗太や親類には内証で堅い誓約を破ってしまった。おれも我慢がしきれなかったからさ。さあ、それから眠られない。五晩も六晩もそんな眠られないことが続くうちに、しまいにはおれも書き置きを書こうかとまで
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