かな光線が鉄格子を通して西の窓からさし入るところは、中央に置き並べた継母と妻との二つの古い長持を除いたら、名実共に青山文庫であった。先代吉左衛門と半蔵と父子二代かかって集めた和漢の書籍は皆そこに置いてある。吉左衛門の残した俳書、岐岨古道記《きそこどうき》をはじめこの駅路に関する記録も多い。半蔵の代になって苦心して書物を集めることは、何十年来の彼の仕事の一つと言ってもよかったが、ことに万葉は彼の愛する古い歌集で、それに関する文献は彼の手の届くかぎり集められるだけ集めてある。階上の壁面によせて積み重ねてあるそれらの本箱の前をあちこちと歩き回る時ばかり、彼のたましいの落ちつくこともない。また、古人のいう夏の炉か冬の扇のような、今は顧みるものもなく、用うるところもなく、子にすら読まれないそれらの書物に対する時ばかり、後の代を待つ心を深くすることもない。家法改革のため、土蔵の階下《した》までも明け渡さねばならない時がやって来てからは、それに気がさして、彼はめったにあの梯子段《はしごだん》を登って行って見ることもない。
三
「おいで。」
呼ぶものは半蔵。呼ばれるものは馬籠《まごめ》の村の子供。もはや旧《ふる》い街道へも六月下旬の午後の日のあたって来ているころである。
「さあ、いいものあげるから、おいで。」
とまた半蔵が呼んでも、子供は輪回しの遊びに夢中な年ごろで、容易に彼の方へ飛んで来ようともしない。おもちゃというおもちゃは多く手造りにしたもので間に合わせる馬籠の子供のあいだには、桶《おけ》の箍《たが》を回して遊び戯れることがまた流行《はや》って来た。この子供も手に竹の輪をさげている。
「こんなに呼んでも、来ないところを見ると、あれは賢いものじゃないと見える。」
この「賢いものじゃないと見える」が子供を釣《つ》った。子供は彼のそばへ走り寄った。その時、彼は自分の袂《たもと》に入れていた巴旦杏《はたんきょう》を取り出して、青い光沢のある色も甘そうに熟したやつを子供の手に握らせた。そして彼の隠宅の方へとその子供を連れて行った。
こんな調子で、半蔵は『童蒙入学門《どうもうにゅうがくもん》』や『論語』なぞを読ませに村の子供らを誘い誘いした。その時になっても彼は無知な百姓の子供を相手にして、教えて倦《う》むことを知らなかった。普通教育の義務年限も定められずにある
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