のすこし黄ばんだ中に、どこか楮《かぞ》の青みを見つけるさえ彼にはうれしかった。
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ふるさとの世にある人もなき人も夜な夜な夢に見ゆる頃《ころ》かな
秋きぬと虫ぞなくなるふるさとの庭の真萩《まはぎ》も今や咲くらむ
おもひやれ旅のやどりの独《ひと》り寝の朝けの袖《そで》の露のふかさを
あはれとや月もとふらむ草枕《くさまくら》さびしき秋の袖の上の露
独りある旅寝の床になくむしのねさへあはれをそへてけるかな
長き夜をひとりあらむと草枕かけてぞわぶる秋はきにけり
ありし世をかけて思へば夢なれや四十《よそじ》の秋も長くしもあらず
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秋の歌。これは飛騨高山中教地にて詠《よ》めるとして、半蔵から寄せた歌稿の中にある。伊之助はこれを読みさして、水無川《みなしがわ》ともいい水無瀬川《みなせがわ》ともいう河原の方に思いをはせ、宮峠のふもとから位山《くらいやま》を望む位置にあるという山里の深さにも思いをはせた。半蔵は水無神社から一町ほど隔てたところにある民家の別宅を借りうけ、食事や洗濯《せんたく》の世話などしてくれる家族の隣りに住み、池を前に、違い棚《だな》、床の間のついた部屋から、毎日宮司のつとめに通《かよ》っているらしい。
「それにしても、この歌のさびしさはどうだ。」
と伊之助はひとり言って見た。
春、夏、秋、冬、恋、雑というふうに分けてある半蔵の歌稿を読んで行くうちに、ことに伊之助が心をひかれたのはその恋歌であった。もっとも、それは飛騨でできたものではないらしいが。
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もろともに夢もむすばぬうき世にはふるもくるしき世にこそありけれ
おろかにもおもふ君かなもろともにむすべる夢の世とはしらずて
月をだにもらさぬ雲のおほほしく独りかもあらむ長きこの夜を
今ぞ知る世はうきものとおもひつつあひみぬなかの長き月日を
相おもふこころのかよふ道もがなかたみにふかきほどもしるべく
年月をあひ見ぬはしに中たえておもひながらに遠ざかりぬる
霞《かすみ》たつ春の日数をしのぶれば花さへ色にいでにけるかな
もろともにかざしてましを梅の花うつろふまでにあはぬ君かも
年月の塵《ちり》もつもりぬもろともに夢むすばむとまけし枕《まくら》に
うたたねの夢のあふせをあらたまの年月ながくこひわたるかな
年月のたえて久しき恋路《こいじ》にはわすれ草のみ
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