の紅《あか》い珠《たま》のように枝に残った郷里の家の庭を想像し、木小屋の裏につづく竹藪《たけやぶ》を想像し、その想像を毎年の雪に隠れひそむ恵那山《えなさん》連峰の谿谷《けいこく》にまで持って行って見た。
とうとう、半蔵は東京で年を越した。一年に一度の餅《もち》つき、やれ福茶だ、小梅だ、ちょろげだと、除夜からして町家は町家らしく、明けては屠蘇《とそ》を祝え、雑煮《ぞうに》を祝え、かち栗《ぐり》、ごまめ、数の子を祝えと言う多吉夫婦と共に、明治八年の新しい正月を迎えた。
暮れのうちに出したらしい郷里の家のものからの便《たよ》りがこの半蔵のもとに届いた。それは継母おまんと、娘お粂《くめ》とからで。娘の方の手紙は父の身を案じ暮らしていることから、留守宅一同の変わりのないこと、母お民から末の弟和助まで毎日のように父の帰国を待ちわびていることなぞが、まだ若々しい女文字で認《したた》めてある。継母から来た便りはそう生《なま》やさしいものでもない。それには半蔵の引き起こした今度の事件がいつのまにか国もとへも聞こえて来て、種々《さまざま》なうわさを生んでいるとある。その中にはお粂のようすも伝えてあって、その後はめっきり元気を回復し、例の疵口《きずぐち》も日に増し目立たないほどに癒《い》え、最近に木曾福島の植松家から懇望のある新しい縁談に耳を傾けるほどになったとある。継母の手紙は半蔵の酒癖のことにまで言い及んであって、近ごろは彼もことのほか大酒をするようになったと聞き伝えるが、朝夕継母の身として案じてやるとある。その手紙のつづきには、男の大厄《たいやく》と言わるる前後の年ごろに達した時は、とりわけその勘弁がなくては危《あぶ》ないとは、あの吉左衛門が生前の話にもよく出た。大事の吉左衛門を立てるなら、酒を飲むたびに亡《な》き父親のことを思い出して、かたくかたくつつしめとも言ってよこしてある。
「青山さん、まだ裁判所からはなんとも申してまいりませんか。」
新しい正月もよそに、謹慎中の日を送っている半蔵のところへ、お隅《すみ》は下座敷から茶を入れて来て勧めた。到来物の茶ではあるがと言って、多吉の好きな物を客にも分けに階下《した》から持って来るところなぞ、このかみさんも届いたものだ。
旅の空で、半蔵もこんな情けのある人を知った。彼の境涯《きょうがい》としては、とりわけ人の心の奥も知らる
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