だめだとおれは見てる……」
三
馬籠本陣を見た目で妻籠本陣を見るものは、同じような破壊の動いた跡をここにも見いだす。夕飯にはまだすこし間のあるころに、お民は兄について、部屋《へや》部屋を見て回った。御一新の大改革が来るまで、本陣にのみあるもので他の民家になかったものは、玄関と上段の間とであった。本陣廃止以来、新政府では普通の旅籠屋《はたごや》に玄関を造ることを許し、上段の間を造ることをも許した。これまで公用兼軍用の客舎のごときもので、主として武家のためにあったような本陣は、あだかもその武装を解かれて休息している建物か何かのようである。
お民は寿平次と一緒に玄関の方へ行って見た。彼女が娘時代の記憶のある式台のあたりはもはや陣屋風の面影をとどめない。その前へ来て黒羅紗《くろらしゃ》の日覆《ひおお》いなぞのかかった駕籠を停《と》めさせる諸大名もなければ、そのたびに定紋《じょうもん》付きの幕を張り回す必要もない。広い板敷きのところは、今は子供の遊び場所だ。そして青山家の先祖から伝わったような古い鎗《やり》のかかったところは、今はお里が織る機《はた》の置き場所だ。
上段の間へも行って見た。あの黒船が東海道の浦賀に押し寄せてからこのかたの街道の混雑から言っても、あるいは任地に赴《おもむ》こうとし、あるいは帰国を急ごうとして、どれほどの時代の人がその客間に寝泊まりしたり、休息したりして行ったかしれない。今はそこもからッぽだ。白地に黒く雲形を織り出した高麗縁《こうらいべり》の畳の上までが湿《し》けて見える。
「お民、お前のところじゃ、上段の間を何に使ってるかい。」
「うちですか。うちじゃ神殿にして、産土神《うぶすな》さまを祭っていますよ。毎朝わたしは子供をつれて拝ませに行きますよ。」
「そういうところは、半蔵さんの家らしい。」
兄妹《きょうだい》はこんな言葉をかわした。
「まあ、来てごらん。」
という寿平次のあとについて、お民はさらに勝手口の木戸から庭の方へ出て見た。思い切った破壊がそこには行なわれている。妻籠本陣に付属する問屋場、会所から、多数《たくさん》な通行の客のために用意してあったような建物までがことごとく取り崩《くず》してある。母屋《もや》と土蔵と小屋とを除いた以外の建物はほとんど礎《いしずえ》ばかり残っていると言っていい。土蔵に続くあたりは桑畠《くわばたけ》になって、ところどころに植えてある桐《きり》の若木も目につく。
お民は思い出したように、
「あれはいつでしたか、うちで炬燵《こたつ》の上に手を置いて、『お民、今に本陣も、脇《わき》本陣もなくなるよ』ッて、そんな話を家のものにして聞かせたことがありましたっけ。あの時はわたしはうそのような気がしていましたよ。お父《とっ》さん(吉左衛門)の百か日が来た時にも、まさかうちで本気にそんなことを言ってるとは思いませんでした。ところが、兄さん、ちょうどあのお父さんが亡《な》くなって一年目に、うちでも母屋だけ残して、新屋の方は取り払いでしょう。主《おも》な柱なぞは綱をつけて、鯱巻《しゃちま》きにして引き倒しましたよ。恐ろしい音がして倒れて行きましたっけ。あの大きな鋸《のこぎり》や斧《おの》で柱を伐《き》る音は、今だにわたしの耳についています。」
その晩、お民は和助を早く寝かしつけて置いて、寿平次のいる寛《くつろ》ぎの間《ま》におばあさんやお里とも集まった。娘お粂の縁談について、折り入ってその相談に来たことを兄夫婦らの前に持ち出した。
妻籠でもうすうす聞いてくれたことであろうがと前置きをして、その時お民が語り出したことは、こうだ。もともとお粂には幼い時分から親の取りきめて置いた許嫁《いいなずけ》があった。本陣はじめ、問屋、庄屋、年寄の諸役がしきりに廃止される時勢は年若な娘の身の上をも変えてしまった。というのは、これまでどおりの家と家との交際もおぼつかない時勢になって来ては、早い許嫁の約束もひとまずあきらめたいと言って、先方の親から破談を申し込んで来たからであった。あのお粂が自分はもうどこへも嫁《かたづ》きたくないと言い出したのは、その時からである。けれども、女は嫁《とつ》ぐべきもの、とは半蔵が継母おまんの強い意見で、年ごろの娘がいつまで父に仕えられるものでもないし、好きな読み書きの道なぞにいそしみ通せるものではなおさらないと言って、いろいろに娘を言いすかし、伊那《いな》の南殿村への縁談を取りまとめたのであった。
この縁談には、おまんも間にはいってすくなからず骨を折った。お民に言わせると、稲葉の家はおまんが生家方《さとかた》のことでもあり、最初からおまんは乗り気で、この話がまとまった時にも生家へあてて長い手紙を送り、まずまず縁談もととのって、自分としてもこんなうれしいことはないと言ってやったほどだ。半蔵はまた半蔵で、「うちの祖母《おばあ》さんの言うことも聞かないようなものは、自分の娘じゃない」と言っているくらいの人だから、かつておまんに逆らおうとしたためしもない。その祖母に対しても、お粂はこの縁談を拒み得なかった。伊那からはすでに二度も仲人《なこうど》が見えて、この二月には結婚の日取りまでも申し合わせた。先方としては、五、六、七、八の四か月を除けば、それ以外の何月に定めてもいいとある。そこで、こちらは娘のために来たる九月を選んだ。そのころにでもなれば、半蔵のからだもいくらかひまになろうと見越したからで。意外にも、お粂は悲しみに沈んでいるようで、母としてのお民にはそれが感じられるというのであった。
「なにしろ、うちじゃあのとおり夢中でしょう。木曾山のことを考え出すと、夜もろくろく眠られないようですよ。わたしはそばで見ていて、気の毒にもなってさ。まずまず縁談もまとまったものだから、こまかいことはお前たちによろしく頼むとばかり。お粂のことでそうそう心配もさせられないじゃありませんか。」とお民は言って見せる。
「いったい、この話がまとまったのは去年の春ごろじゃなかったか。あれから一年にもなる。もっと早く諸事進行しなかったものか。」と言い出したのは寿平次だ。
「そんな、兄さんのような。」とお民は承《う》けて、「そりゃ、話がまとまるとすぐ伊那の方へ手紙を出して、結納《ゆいのう》の小袖《こそで》も、織り次第、京都の方へ染めにやると言ってやったくらいですよ。ごらんなさいな、織って、染めて、それから先方へ送り届けるんじゃありませんか。」
「いや、なかなか男の言うような、そんな無造作なわけにいかすか。まず織ることからして始めにゃならんで。」とおばあさんも言葉をはさんだ。
「おれに言わせると、」とまた寿平次が言い出した。「この話は、すこし時がかかり過ぎたわい。もっとずんずん運んでしまうとよかった。娘が泣いてもなんでも、皆で寄ってたかって、祝っちまう――まずそれが普通さ。そのうちにはかわいい子供もできるというものだね。」
「お粂はことし幾つになるえ。」とおばあさんはお民にきく。
「あの子も十八になりますよ。」
「あれ、もうそんなになるかい。」と言って、おばあさんはお民の顔をつくづくと見て、「そうだろうね、吉左衛門さんの三年がとっくに来たからね。」
「して見ると、わたしたちが年を取るのも不思議はありませんかねえ。」とお里もそばにいて言葉を添える。
「何かなあ。あれでお粂も娘の一心に何か思いつめたことでもあるのかなあ。」と寿平次が言った。
「それがですよ。」とお民は答える。「許嫁《いいなずけ》の人のことでも忘れられないのかというに、どうもそうじゃないらしい。」
「それで、何かえ。お粂はどんなようすだえ。」とまたおばあさんがきく。
「わたしが何をたずねても、うつむいて、沈んでばかりいますよ。」
「そりゃ言えないんだ。」と寿平次は考えて、「ああいう早熟な子にかぎって、そういうことはあることだよ。」
「ほんとに、妙な娘ができてしまいました。あの年で、神霊《みたま》さまなぞに凝って――まあ、お父《とっ》さん(半蔵)にそっくりなような娘ができてしまいました。」
「でも、お民、おれはいい娘だと思う。」
と寿平次は言って、その晩の話はお粂のようすを聞いて見るだけにとどめようとした。お民の方でも、それを生家《さと》の人たちの耳に入れるだけにとどめて、おばあさんや兄の知恵を借りに来たとはまだ言い出せなかった。
馬籠峠の上ともちがい、木曾も西のはずれから妻籠まではいると、大きな谷底を流れる木曾川の音が日によって近く聞こえる。お民は久しぶりでその音を耳にしながら、その晩は子供と一緒におばあさんのそばに寝た。
四
翌朝になると、寿平次の家では街道に接した表門のところへ新しい掛け札を出す。
信濃国、妻籠駅、郵便御用取扱所
青山寿平次
こんな掛け札もお民としては初めて見るものだ。近く配達夫になったばかりのような村の男も改まった顔つきをしてやって来る。店座敷はさしあたり郵便事務を取り扱うところにあてられていて、そこの壁の上には新たに八角型の柱時計がかかり、かちかちという音がし出した。
まだわずかしか集まらない郵便物を袋に入れて、隣駅へ送ること、配達夫に渡すべきものへ正確な時間を記入すること、妻籠駅の判を押すこと、すべてこれらのことを寿平次は問屋時代と同じ調子でやった。それから戸長らしい袴《はかま》をつけて、戸長役場の方へ出勤するしたくだ。
「なあに、郵便の仕事の方はまだ閑散なものさ。切手を貼《は》って出せば、手紙の届くということが、みんなにわからないんだね。それよりは飛脚屋に頼んで手紙を持って行ってもらった方が確かだなんて、そういう人たちだ。郵便はただ行くと思ってる。困りものだぞ。」
と言って、寿平次は出がけにお民に笑って見せた。同じ戸長でも、お民の夫が学事掛りを兼ねているのにひきかえ、兄の方はこんな郵便事務の取り扱いを引き受け、各自の気質に適した道を選んで、思い思いに出て行こうとしつつある。なんと言っても郵便制は木曾路に開始せられたばかりのころで、まだお民には兄が新しい仕事の感じも浮かばない。
この里帰りには、お民は娘お粂のことばかりでなく、いくらか夫半蔵をも離れて見る時を持った。妻籠に着いた翌日は午後から雨になって、草木の蕾《つぼみ》を誘うような四月らしい雨のしとしと降る音が、よけいにその心持ちを引き出した。彼女の目に映る夫は、父吉左衛門の亡《な》くなったころを一区画《ひとくぎり》として、なんとなく別の人である。どういう変化が夫自身の内部《なか》に起こって来たとも彼女には言えないし、どういうものの考え直しが行なわれたとも言って見ることはできないが、すくなくも父の死にあったころは夫が半生のうちでも特別の時代であった。連れ添って見てそのことはわかった。幼少な時分から継母に仕えて身を慎んで来た夫に、おそかれ早かれ起こるべきこの変化が来たことは不思議でないかもしれない。その考えから、それとない人のうわさにも彼女はよく耳を傾ける。妻籠の人たちの言うことを聞いて見たいと思うのもそのためであった。
「お民さんか。これはおめずらしい。」
門口から、声をかけながら雨の中を訪《たず》ねて来る人がある。昔なじみの得右衛門だ。お民にと言って、自分の家から鯉《こい》を届けさせるような人だ。
得右衛門も脇《わき》本陣の廃止を機会に、長い街道生活から身を退いている。妻籠の副戸長として寿平次を助けながらもっと村のために働いてもらいたいとは、村民一同の希望であったが、それも辞し、辛抱人の養子実蔵に副戸長をも譲って、今は全くの扇屋の隠居である。
「どうです、お民さん、妻籠も変わりましたろう。」
と言って、得右衛門は応接間と茶の間とを兼ねたような寿平次が家の囲炉裏ばたにすわり込んだ。温暖《あたたか》い雨は来ても、まだ火のそばがいいと言っている得右衛門は、お民から見ればおじさんのような人だ。どこか故吉左衛門らと共通なところがあって、だんだんこういう人が木
前へ
次へ
全42ページ中41ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング