は彼の目にある。平田同門の人たちの動きがしきりに彼の胸に浮かんだ。その時になって見ると、師岡正胤《もろおかまさたね》、三輪田元綱《みわたもとつな》、権田直助《ごんだなおすけ》なぞはいずれも今は東京の方で師の周囲に集まりつつある。彼が親しい先輩|暮田正香《くれたまさか》は京都皇学所の監察に進んだ。
「そうだ、同門の人たちはいずれも十年の後を期した。奥羽の戦争を一期として、こんなに早く皆の出て行かれる時が来ようとは思わなかった。」
 と彼は考えた。
 多くの人が統一のために協力した戦前と戦後とでは、こうも違うものかとさえ彼は思った。彼はまた、遠からず香蔵と同じように東京へ向かおうとする中津川の景蔵のことを考え、どんな要職をもって迎えられても仕える意のないあの年上の友人のことを考えて、謙譲で名聞《みょうもん》を好まない景蔵のような人を草叢《くさむら》の中に置いて考えることも楽しみに思った。
 木曾福島の関所も廃されてからは、上り下りの旅行者を監視する番人の影もない。上松《あげまつ》を過ぎ、三留野《みどの》まで帰って来た。行く先に謹慎を命ぜられていた庄屋問屋のあることは、今度の改革の容易でないことを語っている。この日になってもまだ旧《ふる》い夢のさめないような庄屋問屋は、一切外出を許さない、謹慎中は月代《さかやき》を剃《そ》ることも相成らない、病気たりとも医師の宅へ療養に罷《まか》り越すことも相成らない、もっとも自宅へ医師を呼び寄せたい時はその旨《むね》を伺い出よ、居宅は人見《ひとみ》をおろし大戸をしめ潜《くぐ》り戸《ど》から出入りせよ、職業ならびに商法とも相成らない、右のほかわかりかねることもあらば宿役人を通して伺い出よとの総管所からのきびしいお達しの出たころだ。
 さらに妻籠《つまご》まで帰って来た。半蔵が妻籠本陣へ見舞いを言い入れると、ちょうど寿平次は留守の時であったが、そこでも会所は廃され、問屋は変わる最中で、いったん始まった改革は行くところまで行かなければやまないような勢いを示していた。
 妻籠の宿場を離れると、木曾川の青い川筋も見えない。深い谷の尽きたところから林の中の山道になって、登れば登るほど木曾の西のはずれへ出て行かれる。五月の節句もまためぐって来て山家の軒にかけた菖蒲《しょうぶ》の葉も残っているころに、半蔵は馬籠の新しい伝馬所の前あたりまで戻《もど》って来た。旧会所の建物は本陣表門のならびに続いて、石垣《いしがき》の多い坂道の位置から伏見屋のすぐ下隣りに見える。さびしく戸のしまったその建物の前を立ち去りがたいようにして、杖《つえ》をつきながら往《い》ったり来たりしている人がある。その人が彼の父だ。大病以来めったに隠居所を離れたこともない吉左衛門だ。半蔵は自分の家の方へ降りかけたところまで行って、思わずハッとした。


「お父《とっ》さん、どちらへ。」
 声をかけて見て、半蔵は父がめずらしく旧友金兵衛を訪《たず》ねに行って来たことを知った。その父が家の門前までひとりでぽつぽつ帰って来たところだということをも知った。
「お父さん、大丈夫ですか。そんなにひとりで出歩いて。」
 と彼は言って、裏の隠居所まで父を送らせるために自分の子供をさがしたが、そこいらには宗太も遊んでいなかった。彼は自身に父を助けるようにして、ゆっくりゆっくり足を運んで行く吉左衛門に付き添いながら、裏二階の前まで一緒に歩いた。
 今は半蔵も問屋役から離れてしまったことを父に隠せなかった。新しい伝馬所は父の目にも触れた。継母や妻の心配して来たことを、いつまで父に告げないのはうそだ。その考えから、彼は母屋《もや》の方へ引き返して行った。
「お民、帰ったよ。」
 その半蔵の声をきくと、お民は前の晩に菖蒲《しょうぶ》の湯をつくらせておそくまで夫を待ったことなぞを語った。そういう彼女は、やがてまた夫との間に生まれて来るものを待ち受けているような時である。彼女はすでに五人の子の母であった。もっとも、五人のうち、男の子の方は長男の宗太に、妻籠の里方へ養子にやった次男の正己《まさみ》。残る三人は女の子で、姉娘のお粂のほかには、さきに次女のお夏をうしない、三女に生まれたお毬《まり》という子もあったが、これも早世した。どうかして今度生まれて来るものは無事に育てたい。そんな話が夫と二人ぎりの時には彼女の口からもれて来る。彼女の内部《なか》に起こって来た変化はすでに包み切れないほどで、いろいろと女らしく心をつかっていた。
 夕方から、半蔵は父を見に行った。例の裏二階に、吉左衛門はおまんを相手の時を送っていた。部屋《へや》の片すみには父がからだを休めるための床も延べてある。これまで父の耳にも入れずにあったことは、半蔵がそれを切り出すまでもなく、吉左衛門は上の伏見屋の金兵衛からいろいろと聞いて来て、青山一家にまで襲って来たこんな強い嵐《あらし》が早く通り過ぎてくれればいいという顔つきでいる。
「きょうはくたぶれたぞ。」と吉左衛門が言い出した。「まあ、おれもめずらしく気分のいい日が続くし、古稀《こき》の祝いのお礼にもまだ行かなかったし、そう思って、旧《ふる》い友だちの顔を見に行って来たよ。おれもへぼくなった。上の伏見屋まで坂を登るぐらいに、息が切れる。それにあの金兵衛さんがおれをつかまえて放さないと来てる。いろいろの宿場のうわさも出たよ――いや、大長咄《おおながばなし》さ。」
 老年らしい沈着《おちつき》をもった父の様子に、半蔵もやや心を安んじて、この宿場の改革が避けがたいというのも一朝一夕に起こって来たものではないことや、もはや木曾谷中から寄せた人足が何百人とか伊那の助郷から出た人足が千人にも及ぶとかいうようなそんな大通行の許される時代でないことや、したがって従来二十五人二十五匹のお定めの宿伝馬もその必要なく、今に十三人十三匹の人馬を各宿場に用意すればそれでも交通輸送に事を欠くまいというのが、福島総管所の方針であるらしいことなぞを父に告げた。
「まあ、おれのような昔者には、今の世の中のことがわからなくなって来た。」と吉左衛門は言った。「金兵衛さんの言い草がいい。とても自分には見ちゃいられないと言うんさ。あの隠居としたら、そうだろうテ。」
「そう言えば、お父さんは夢をごらんなすったというじゃありませんか。」と半蔵は父の顔をみまもる。
「その夢さ。」
「言って見れば、どんな夢です。」
「まあ梁《はり》が落ちて来たんだね。あんまり不思議な夢だから、易者にでも占ってもらおうかと思ったさ。何か家の内がごたごたしてる。さもなければ、あんな夢を見るはずがない。おれはそう思って、気になってしかたがなかった。」
「実は、お父さん、わたしはありのままをお話しした方がいいと思っていたんです。お母《っか》さんやお民が心配するものですからね――お父さんのからだにでもさわるといけないなんて、しきりにわたしを止めるものですからね――つい今までお父さんには隠してありました。」
 おまんは部屋を出たりはいったりしていた。彼女は半蔵父子の話の方に気を取られていたというふうで、次ぎの部屋から茶道具なぞをそこへ運んで来た。きのうの粽《ちまき》は半蔵にも食わせたかったが、それも残っていない――そんな話が継母の口から出る。時節がら、その年の節句祝いも簡単にして、栄吉、清助の内輪のものを招くだけにとどめて置いたとの話も出る。
 吉左衛門は思い出したように、
「いや、こういうことになって来るわい。今までおれも黙って見てたが、あの参覲交代が御廃止になったと聞いた時に、おれはもうあることに打《ぶ》つかったよ。」
「……」
「半蔵、本陣や庄屋はどうなろう。」
「それがです、本陣、庄屋、それに組頭《くみがしら》だけは、当分これまでどおりという御沙汰《ごさた》がありました。それも当分と言うんですから、改革はそこまで及んで行くかもしれません。」
 その返事を聞くと、吉左衛門は半蔵の顔をながめたまましばらく言葉もなかった。


「しかし、きょうはお父さんもお疲れでしょう。すこし横にでもおなりなすったら。」と半蔵が言葉をつづけた。
「それがいい。そう話に身が入っちゃ、えらい。」とおまんも言う。
「じゃ、そうするか。この節は宵《よい》から寝てばかりさ。おまんもおれにかぶれたと見えて、おれが横になれば、あれも横になる。」
 吉左衛門はそんなことを半蔵に言って見せて、笑って、おまんの勧めるままに新しい袷《あわせ》の寝衣《ねまき》の袖《そで》に手を通した。半蔵の見ている前で、細い紐《ひも》を結んで、そこに敷いてある床の上にすわった。七十一歳を迎えた吉左衛門は、かねてある易者に言われたよりも一年多く生き延びた彼自身をその裏二階に見つけるような人であった。
「半蔵、見ておくれよ。」とおまんが言った。「ことしはお父さんに、こういうものを造りましたよ。わたしの丹精《たんせい》した袷だよ。お父さんはお前、この年になるまでずっと木綿《もめん》の寝衣で通しておいでなすった。やわらかな寝衣なぞは庄屋に過ぎたものだ、おれは木綿でたくさんだ――そうおっしゃるのさ。そりゃ、お前、氏神さまへ参詣《さんけい》する時の紙入れだって、お父さんは更紗《さらさ》の裏のついたのしかお使いなさらないような人だからね。でも、わたしは言うのさ。七十の歳《とし》にもおなりになるなら、寝衣にやわらか物ぐらいはお召しなさるがいいッて――ね。どうしてもお父さんはこういうものを着ようとおっしゃらない。それをわたしが勧めて、ことしから着ていただくことにしましたよ。」
 こんなおまんの心づかいも、吉左衛門の悲哀《かなしみ》を柔らげた。吉左衛門は床の上にすわったまま、枕《まくら》を引きよせて、それを膝《ひざ》の上に載せながら、
「まあ、金兵衛さんのところへも顔を出したし、これでおれも気が済んだ。明日か明後日のうちにはお粂《くめ》や宗太を連れて、墓|掃除《そうじ》だけには行って来たい。」
 そう言って、先代隠居半六の命日が近いばかりでなく、村の万福寺の墓地の方には、早世した二人の孫娘が、亡《な》きお夏とお毬《まり》とが、そこに新しい墓を並べて眠っていることまでを、あわれ深く思いやるというふうであった。
「あれもこれもと思うばかりで、なかなか届かないものさね。」
 とも吉左衛門は言い添えた。
 その晩、母屋《もや》の方へ戻《もど》って行く半蔵を送り出した後、吉左衛門はまだ床の上にすわりながら、自分の長い街道生活を思い出していた。半蔵の置いて行った話が心にかかって、枕についてからもいろいろなことを思いつづけた。明日もあらば、と父は思い疲れて寝た。

       七

 六月にはいって、半蔵は尾州家の早い版籍奉還を聞きつけた。彼は福島総管所から来たその通知を父のところへ持って行って読み聞かせた。
[#地から2字上げ]徳川三位中将
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今般版籍奉還の儀につき、深く時勢を察せられ、広く公議を採らせられ、政令帰一の思《おぼ》し召しをもって、言上《ごんじょう》の通り聞こし召され候《そうろう》事。
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 とある。
 これは新政府行政官から出たもので、主上においても嘉納《かのう》あらせられたとの意味の通知である。総管所からはこの趣を村じゅうへもれなく申し聞けよとも書付を添えて、庄屋としての半蔵のもとへ送り届けて来たものである。
 すでに起こって来た木曾福島の関所の廃止、代官所廃止、種々《さまざま》な助郷名目の廃止、刎銭《はねせん》の廃止、問屋の廃止、会所の廃止――この大きな改革は、とうとうここまで来た。さきに版籍奉還を奏請した西南の諸侯はあっても、まだそれが実顕の運びにも至らないうちに、尾州家が率先してこのことを行ない、名を譲って実をあげようとするは、いわれのないことでもない。徳川御三家の随一として、水戸に対し、紀州に対し、その他の多くの諸侯に対し、大義名分を正そうとする尾州家にこのことのあるのは不思議でもない。あの徳川慶喜が大政を奉還し将軍職を辞退した当時、広大な
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