「景蔵さん、東山道軍の執事から尾州藩の重職にあてた回状の写しさ、あれは君の方へも回って行きましたろう。」
「来ました。」
「あれを君はどう読みましたかい。」
「さあ、ねえ。」
「えらいことが書いてあったじゃありませんか。あれで見ると、本営の方じゃ、まるきり相良惣三の仲間を先駆とは認めないようですね。」
「全くの無頼の徒扱いさ。」
「いったい、あんな通知を出すくらいなら、最初から先駆なぞを許さなければよかった。」
「そこですよ。あの相良惣三の仲間は、許されて出て来たものでもないらしい。わたしはあの回状を読んで、初めてそのことを知りました。綾小路《あやのこうじ》らの公達《きんだち》を奉じて出かけたものもあるが、勅命によってお差し向けになったものではないとまで断わってある。見たまえ、相良惣三の同志というものは、もともと西郷吉之助の募りに応じて集まったという勤王の人たちですから、薩摩藩《さつまはん》に付属して進退するようにッて、総督府からもその注意があり、東山道軍の本営からもその注意はしたらしい。ところがです、先駆ととなえる連中が自由な行動を執って、ずんずん東下するもんですから、本営の方じゃこんなことで軍の規律は保てないと見たんでしょう。」
「あの仲間が旗じるしにして来た租税半減というのは。」
「さあ、東山道軍から言えば、あれも問題でしょうね。実際新政府では租税半減を人民に約束するかと、沿道の諸藩から突っ込まれた場合に、軍の執事はなんと答えられますかさ。とにかく、綾小路らの公達《きんだち》が途中から分かれて引き返してしまうのはよくよくです。これにはわれわれの知らない事情もありましょうよ。おそらく、それや、これやで、東山道軍からはあの仲間も経済的な援助は仰げなくなったのでしょう。」
「だいぶ、話が実際的になって来ましたね。」
「まあ、百二十人あまりからの同勢で、おまけに皆、血気|壮《さか》んな人たちと来ています。ずいぶん無理もあろうじゃありませんか。」
「われわれの宿場を通ったころは、あの仲間もかなり神妙にしていましたがなあ。」
「水戸《みと》浪士の時のことを考えて見たまえ。幹部の目を盗んで民家を掠奪《りゃくだつ》した土佐の浪人があると言うんで、三五沢で天誅《てんちゅう》さ。軍規のやかましい水戸浪士ですら、それですよ。」
「それに、あの相良惣三の仲間が追分《おいわけ》の方で十一軒も民家を焼いたのは、まずかった。」
「なにしろ、止めて止められるような人たちじゃありませんからね。風は蕭々《しょうしょう》として易水《えきすい》寒し、ですか。あの仲間はあの仲間で、行くところまで行かなけりゃ承知はできないんでしょう。さかんではあるが、鋭過《するどす》ぎますさ。」
「景蔵さん、君は何か考えることがあるんですか。」
「どうして。」
「どうしてということもありませんが、なんだかきょうはしかられてるような気がする。」
この半蔵の言葉に、景蔵も笑い出した。
「そう言えば半蔵さん、こないだもわたしは香蔵さんをつかまえて、どうもわれわれは目の前の事にばかり屈託して困る、これがわれわれの欠点だッて話しましたら、あの香蔵さんの言い草がいい。屈託するところが人間ですとさ。でも、周囲を見ると心細い。王政復古は来ているのに、今さら、勤王や佐幕でもないじゃありませんか。見たまえ、そよそよとした風はもう先の方から吹いて来ている。この一大変革の時に際会して、大局を見て進まないのはうそですね。」
「景蔵さん、君も気をつけて行って来たまえ。相良惣三に同情があると見た地方の有志は、全部呼び出して取り調べる――それがお役所の方針らしいから。」
そう言いながら、半蔵は寝覚《ねざめ》を立って行く友人と手を分かった。
「どれ、福島の方へ行ってしかられて来るか。」
景蔵はその言葉を残した。その時、半蔵は供の男をかえりみて、
「さあ、平兵衛さん、わたしたちもぽつぽつ出かけようぜ。」
そんなふうに、また半蔵らは馬籠をさして出かけた。
木曾谷は福島から須原《すはら》までを中三宿《なかさんしゅく》とする。その日は野尻《のじり》泊まりで、半蔵らは翌朝から下四宿《しもししゅく》にかかった。そこここの道の狭いところには、雪をかきのけ、木を伐《き》って並べ、藤《ふじ》づるでからめ、それで道幅を補ったところがあり、すでに橋の修繕まで終わったところもある。深い森林の方から伐り出した松明《たいまつ》を路傍に山と積んだようなところもある。上松《あげまつ》御陣屋の監督はもとより、近く尾州の御材木方も出張して来ると聞く。すべて東山道軍を迎える日の近づきつつあったことを語らないものはない。
時には、伊勢参宮の講中にまじる旅の婦人の風俗が、あだかも前後して行き過ぎる影のように、半蔵らの目に映る。きのうまで手形なしには関所も通られなかった女たちが、男の近親者と連れだち、長途の旅を試みようとして、深い窓から出て来たのだ。そんな人たちの旅姿にも、王政第一の春の感じが深い。そのいずれもが日焼けをいとうらしい白の手甲《てっこう》をはめ、男と同じような参拝者の風俗で、解き放たれて歓呼をあげて行くかにも見えていた。
次第に半蔵らは淡い雪の溶け流れている街道を踏んで行くようになった。歩けば歩くほど、なんとなく谷の空も明るかった。西から木曾川を伝って来る早い春も、まだまだ霜に延びられないような浅い麦の間に躊躇《ちゅうちょ》しているほどの時だ。それでも三留野《みどの》の宿まで行くと、福島あたりで堅かった梅の蕾《つぼみ》がすでにほころびかけていた。
午後に、半蔵らは大火のあとを承《う》けてまだ間もない妻籠の宿にはいった。妻籠本陣の寿平次《じゅへいじ》をはじめ、その妻のお里、めっきり年とったおばあさん、半蔵のところから養子にもらわれて来ている幼い正己《まさみ》――皆、無事。でも寿平次方ではわずかに類焼をまぬかれたばかりで、火は本陣の会所まで迫ったという。脇《わき》本陣の得右衛門《とくえもん》方は、と見ると、これは大火のために会所の門を失った。半蔵が福島の方から引き返して、地方《じかた》御役所でしかられて来たありのままを寿平次に告げに寄ったのは、この混雑の中であった。
もっとも、半蔵は往《い》きにもこの妻籠を通って寿平次の家族を見に寄ったが、わずかの日数を間に置いただけでも、板囲いのなかったところにそれができ、足場のなかったところにそれがかかっていた。そこにもここにも仮小屋の工事が始まって、総督の到着するまでにはどうにか宿場らしくしたいというそのさかんな復興の気象は周囲に満ちあふれていた。
寿平次は言った。
「半蔵さん、今度という今度はわたしも弱った。東山道軍が見えるにしたところで、君の方はまだいい。昼休みの通行で済むからいい。妻籠を見たまえ、この大火のあとで、しかも総督のお泊まりと来てましょう。」
「ですから、当日の泊まり客は馬籠でも分けて引き受けますよ。いずれ御先触《おさきぶ》れが来ましょう。そうしたら、おおよそ見当がつきましょう。得右衛門さんでも馬籠の方へ打ち合わせによこしてくださるさ。」
「おまけに、妻籠へ割り当てられた松明《たいまつ》も三千|把《ば》だ。いや、村のものは、こぼす、こぼす。」
「どうせ馬籠じゃ、そうも要《い》りますまい。松明も分けますよ。」
こんなことであまり長くも半蔵は邪魔すまいと思った。寿平次のような養父を得て無事に成長するらしい正己にも声をかけて置いて、そこそこに彼は帰村を急ごうとした。
「もうお帰りですか。」と言いながら、仕事着らしい軽袗《かるさん》ばきで、寿平次は半蔵のあとを追いかけて来た。
「あの大火のあとで、よくそれでもこれまでに工事が始められましたよ。」と半蔵が言う。
「みんな一生懸命になりましたからね。なにしろ、高札下《こうさつした》から火が出て、西側は西田まで焼ける。東側は山本屋で消し止めた。こんな大火はわたしが覚えてから初めてだ。でも、村の人たちの意気込みというものは、実にすさまじいものさ。」
しばらく寿平次は黙って、半蔵と一緒に肩をならべながら、木を削るかんなの音の中を歩いた。やがて、別れぎわに、
「半蔵さん、世の中もひどい変わり方ですね。何が見えて来るのか、さっぱり見当もつかない。」
「まあ統一ができてからあとのことでしょうね。」
と半蔵の方で言って見せると、寿平次もうなずいた。そして別れた。
半蔵が供の平兵衛と共に馬籠の宿はずれまで帰って行ったころは、日暮れに近かった。そこまで行くと、下男の佐吉が宗太(半蔵の長男)を連れて、主人の帰りのおそいのを案じ顔に、陣場というところに彼を待ち受けていた。その辺には「せいた」というものを用いて、重い物を背負い慣れた勁《つよ》い肩と、山の中で働き慣れた勇健な腰骨とで、奥山の方から伐《き》り出して来た松明を定められた場所へと運ぶ村の人たちもある。半蔵と見ると、いずれも頬《ほお》かぶりした手ぬぐいをとって、挨拶《あいさつ》して行く。
「みんな、御苦労だのい。」
そう言って村の人たちに声をかける時の半蔵の調子は、父|吉左衛門《きちざえもん》にそっくりであった。
半蔵は福島出張中のことを父に告げるため、馬籠本陣の裏二階にある梯子段《はしごだん》を上った。彼も妻子のところへ帰って来て、母屋《もや》の囲炉裏ばたの方で家のものと一緒に夕飯を済まし、食後に父をその隠居所に見に行った。
「ただいま。」
この半蔵の「ただいま」が、炬燵《こたつ》によりかかりながら彼を待ち受けていた吉左衛門をも、茶道具なぞをそこへ取り出す継母のおまんをもまずよろこばせた。
「半蔵、福島の方はどうだったい。」
と吉左衛門が言いかけると、おまんも付け添えるように、
「おとといはお前、中津川の景蔵さんまでお呼び出しで、ちょっと吾家《うち》へも寄って行ってくれたよ。」
「そうでしたか。景蔵さんには寝覚《ねざめ》で行きあいましたっけ。まあ、お役所の方も、お叱《しか》りということで済みました。つまらない疑いをかけられたようなものですけれど、今度のお呼び出しのことは、お父《とっ》さんにもおわかりでしょう。」
「いや、わかるどころか、あんまりわかり過ぎて、おれは心配してやったよ。お前の帰りもおそいものだからね。」
こんな話がはじまっているところへ、母屋《もや》の方にいた清助も裏二階の梯子段《はしごだん》を上って来た。無事に帰宅した半蔵を見て、清助も「まあ、よかった」という顔つきだ。
「半蔵、お前の留守に、追分《おいわけ》の名主《なぬし》のことが評判になって、これがまた心配の種さ。」と吉左衛門が言って見せた。
「それがです。」と清助もその話を引き取って、「あの名主は親子とも入牢《にゅうろう》を仰せ付けられたとか、いずれ追放か島流しになるとか、いろいろなことを言いましょう。まさか、そんなばかばかしいことが。どうせ街道へ伝わって来るうわさだぐらいに、わたしどもは聞き流していましたけれど、村のうわさ好きな人たちと来たら、得ていろいろなことを言いたがる。今度は本陣の旦那《だんな》も無事にお帰りになれまいなんて。」
吉左衛門は笑い出した。そして、追分の名主のことについて、何がそんな評判を立てさせたか、名主ともあろうものが腰縄《こしなわ》手錠で松代藩《まつしろはん》の方へ送られたとはどうしたことか、そのいぶかしさを半蔵にたずねた。そういう吉左衛門はいまだに宿駅への関心を失わずにいる。
「お父《とっ》さん、そのことでしたら。」と半蔵は言う。「なんでも、小諸藩《こもろはん》から捕手《とりて》が回った時に、相良惣三の部下のものは戦さでもする気になって、追分の民家を十一軒も焼いたとか聞きました。そのあとです、小諸藩から焼失人へ米を六十俵送ったところが、その米が追分の名主の手で行き渡らないと言うんです。偽《にせ》官軍の落として行った三百両の金も、焼失人へは割り渡らないと言うんです。あの名主は貧民を救えと言われて、偽官軍から米を十六俵も受け取りながら、その米も貧民へは割り
前へ
次へ
全42ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング