寛永寺《かんえいじ》にはいって謹慎の意を表しているといううわさなぞで持ち切った。
大坂西本願寺での各国公使との会見が行なわれた翌日のことである。中寺町にあるフランス公使館からは、各国公使と共に日本側の主《おも》な委員を晩食に招きたいと言って来た。江戸旧幕府の同情者として知られているフランス公使ロセスすら、前日の会見には満足して、この好意を寄せて来たのだ。
やがて公使館からは迎えのものがやって来るようになった。日本側からの出席者は大坂の知事|醍醐忠順《だいごただおさ》、宇和島|伊予守《いよのかみ》、それに通禧ときまった。そこで、三人は出かけた。
その晩、通禧らは何よりの土産《みやげ》を持参した。来たる十八日を期して各国公使に上京参内せよと京都から通知のあったことが、それだ。この大きな土産は、通禧の使者が京都からもたらして帰って来たものだ。諸藩の留守居と思《おぼ》し召して各国公使に御対面あるがいいとの通禧の進言が奥向きにもいれられたのである。
中寺町のフランス公使館には主人側のロセスをはじめ、客分の公使たちまで集まって通禧らを待ち受けていた。そこには、まるで日本人のように話す書記官
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