売れたという外国船は幾|艘《そう》かあった。アテリネと名づくる汽船は、これも売り物で、暗夜にまぎれてこっそり兵庫に来たことはすぐその道のものに知れた。
三
旧暦の二月にはいって、兵庫にある外国公使らは大坂の会合に赴《おもむ》くため、それぞれしたくをはじめることになった。これは島津修理太夫《しまづしゅりだゆう》をはじめ、毛利長門守《もうりながとのかみ》、細川越中守《ほそかわえっちゅうのかみ》、浅野安芸守《あさのあきのかみ》、松平大蔵大輔《まつだいらおおくらたいふ》(春嶽《しゅんがく》)、それに山内容堂《やまのうちようどう》などの朝廷守護の藩主らが連署しての建議にもとづき、当時の急務は外国との交際を講明しないでは協《かな》わないとの趣意に出たものであった。各国がいよいよ新政府を承認するなら、前例のない京都参府を各国使臣に許されるであろうとの内々の達しまであった。
それにしても新政府の信用はまだ諸外国の間に薄い。多年、排外の中心地として知られた京都にできた新政府である。この一大改革の機運を迎えて、開国の方向を確定するのが第一だとする新政府の熱心は聞こえても、各国公使らは
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