ご》まで――二里の山道はえらいぞなし。」
 兼吉の言い草だ。
 峠の上から一石栃《いちこくとち》(俗に一石)を経て妻籠までの間は、大きな谷の入り口に当たり、木曾路でも深い森林の中の街道筋である。過ぐる年月の間、諸大名諸公役らの大きな通行があるごとに、伊那方面から徴集される村民が彼らの鍬《くわ》を捨て、彼らの田園を離れ、木曾下四か宿への当分助郷、あるいは大助郷と言って、山蛭《やまびる》や蚋《ぶよ》なぞの多い四里あまりのけわしい嶺《みね》の向こうから通って来たのもその山道である。
 背中にしたは、なんと言っても慣れない荷だ。次第に半蔵は連れの人足たちからおくれるようになった。荷馬の歩みに調子を合わせるような鈴音からも遠くなった。時には兼吉その他の百姓が途中に彼を待ち合わせていてくれることもある。平素から重い物を背負い慣れた肩と、山の中で働き慣れた腰骨とを持つ百姓たちとも違い、彼は手も脚《あし》も震えて来た。待ち受けていた百姓たちはそれを見ると、さかんに快活に笑って、またさっさと先へ歩き出すというふうだ。
 その日ほど彼も額からにじみ出る膏《あぶら》のような冷たい汗を流したことはない。どうか
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