》連れさせて、かねて彼が後援もし危急を救ったこともある平潟《ひらがた》の知人のもとをたよって行けと教えた。これはお尋ね者が来ても決して匿《かく》してはならないとのきびしいお達しだからと言って断わられ、日暮れごろにとぼとぼと帰路についた。おりよくある村の農家のものが気の毒がって、そこに三、四日も置いてくれたので、襲撃も終わり危険もないと聞いてから夫人らは家に帰った。当時は市川三左衛門《いちかわさんざえもん》をはじめ諸生党の領袖《りょうしゅう》が水戸の国政を左右する際で、それらの反対党は幕府の後援により中山藩と連合して天狗残党を討《う》とうとしていたので、それを知った彼は場合によっては天王山《てんのうざん》に立てこもるつもりで、武器をしらべると銃が七|挺《ちょう》あるに過ぎない。土民らはまた蜂起《ほうき》して反対党の先鋒となり、竹槍《たけやり》や蓆旗《むしろばた》を立てて襲って来たので、彼の同志数十人はそのために斃《たお》れ、あるものは松平周防守《まつだいらすおうのかみ》の兵に捕えられ、彼は身をもって免かれるというありさまであった。その時の彼は、日中は山に隠れ、夜になってから歩いた。各村と
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