藩《よねざわはん》を通して開城降伏の意を伝えに来たとの風聞があった。それらの使者がいずれも深い笠《かさ》をかぶり、帯刀も捨て、自縛して官軍本営の簷下《のきした》に立たせられた姿は実にかわいそうであったとか。その時になると、白河口《しらかわぐち》よりするもの、米沢口よりするもの、保成口《ぼなりぐち》、越後口よりするもの、官軍参謀の集まって来たものも多く、評議もまちまちで、会津方が降伏の真偽も測りかねるとのうわさであった。翌二十日にはさらに会津藩の鈴木|為輔《ためすけ》、川村三助の両人が重役の書面を携えて国情を申し出るために、通路も絶えたような城中から進んで来た。彼千里はその二人の使者が兵卒の姿に身を変え、背中には大根を担《にな》って、官軍の本営に近づいて来たのを目撃したという。味方も敵も最前線にあるものはまだその事を知らない。その日は諸手《しょて》の持ち場持ち場からしきりに城中を砲撃し、城中からも平日よりははげしく応戦した。二十二日が来た。いよいよ諸口の官兵に砲撃中止の命令の伝えられる時が来た。朝の八時ごろには約束のように追手門の外へ「降参」としるした大旗の建つのを望んだともいう。
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