って来た人である。その年の福島の夏祭りの夜に非命の最期をとげた植松菖助《うえまつしょうすけ》なぞは御関所番《おせきしょばん》の重職ながらに膝《ひざ》をまげて、生前にはよく養父のところへ金子《きんす》の調達を頼みに来たものだ。その実力においては次第に福島の家中衆からもおそれられたが、しかし養父とても一町人である。結局、多くのひくい身分のものと同じように、長いものには巻かれることを子孫繁栄の道とあきらめて来た。天明《てんめい》六年度における山村家が六千六百余両の無尽の発起をはじめ、文久二年度に旦那様の七千両の無尽の発起、同じ四年度に岩村藩の殿様の三万両の無尽の発起など、それらの大口ものの調達を依頼されるごとに、伏見屋でも二百両、二百三十両と年賦で約束して来た御上金《おあげきん》のことを取り出すまでもなく、やれお勝手の不如意《ふにょい》だ、お家の大事だと言われるたびに、養父が尾州代官の山村氏に上納した金高だけでもよほどの額に上ろう。
 伊之助はこの養父の妥協と屈伏とを見て来た。変革、変革の声で満たされている日が来たことは、町人としての彼を一層用心深くした。この大きな混乱の中に巻き込まれるとい
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