さは、木曾の山の中をも静かにしては置かなかった。
 こんな空気の中で、半蔵は伊之助らと共に馬籠本宿の東のはずれ近くまで禰宜《ねぎ》を送って行った。恵那山《えなさん》を最高の峰とする幾つかの山嶽《さんがく》は屏風《びょうぶ》を立て回したように、その高い街道の位置から東の方に望まれる。古代の人の東征とは切り離して考えられないような古い歴史のある御坂越《みさかごえ》のあたりまでが、六月の朝の空にかたちをあらわして、戦地行きの村の子を送るかに見えていた。
 峠の上には、別に宿内の控えとなっている一小部落がある。西のはずれで狸《たぬき》の膏薬《こうやく》なぞを売るように、そこには、名物|栗《くり》こわめしの看板を軒にかけて、木曾路を通る旅人を待つ御休処《おやすみどころ》もある。峠村組頭の平兵衛が家はその部落の中央にあたる一里塚の榎《えのき》の近くにある。その朝、半蔵らは禰宜と共に平兵衛方の囲炉裏ばたに集まって、馬の顔を出した馬小屋なぞの見えるところで、互いに別れの酒をくみかわした。
「越後から逃げて帰って来る農兵もあるし、禰宜さまのように自分から志願して、勇んで出て行く人もある。全く世の中はよく
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