にあることも楽しくて、二人《ふたり》はしばらくその位置を選んで休んだ。
 落合の勝重の家でも話の出た農兵の召集が、六十日ほど前に行なわれたのも、この氏神の境内であった。それは尾州藩の活動によって起こって来たことで、越後口《えちごぐち》に出兵する必要から、同藩では代官山村氏に命じ、木曾谷中へも二百名の農兵役を仰せ付けたのである。馬籠《まごめ》の百姓たちはほとんどしたくする暇も持たなかった。過ぐる閏《うるう》四月の五日には木曾福島からの役人が出張して来て、この村社へ村中一統を呼び出しての申し渡しがあり、九日にはすでに鬮引《くじび》きで七人の歩役の農兵と一人《ひとり》の付き添いの宰領とを村から木曾福島の方へ送った。
 半蔵はまだあの時のことを忘れ得ない。召集されて行く若者の中には、まだ鉄砲の打ち方も知らないというものもあり、嫁をもらって幾日にしかならないというものもある。長州や水戸《みと》の方の先例は知らないこと、小草山の口開《くちあ》けや養蚕時のいそがしさを前に控え、農家から取られる若者は「おやげない」(方言、かあいそうに当たる)と言って、目を泣きはらしながら見送る婆《ばあ》さんたちも多か
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