こんな時の平兵衛は半蔵の相談相手にはならない。平兵衛はからだのよく動く男で、村方の無尽《むじん》をまとめることなぞにかけてはなくてならないほど奔走周旋をいとわない人物だが、こんな話の出る時にはたったりすわったりして、ただただ聞き手に回ろうとしている。
「すこし目を離すと、すぐこれです。」
 平兵衛は峠村の組頭《くみがしら》らしく、ただそれだけのことを言った。彼は旅籠屋《はたごや》の廊下に出て旅の荷物を始末したり、台所の方へ行って半蔵のためにぬれた合羽《かっぱ》を乾《ほ》したりして、そういう方にまめまめと立ち働くことを得意とした。
「まあ、中津川まで帰って行って見るんだ。」
 と半蔵は考えた。こんな出来事は何を意味するのか、時局の不安はこんなところへまで迷いやすい百姓を追い詰めるのか、窮迫した彼らの生活はそれほど訴える道もないのか、いずれとも半蔵には言うことができない。それにしても、あの東山道総督の一行が見えた時、とらえようとさえすればとらえる機会は百姓にもあった。彼らの訴える道は開かれてあった。年来|苛政《かせい》に苦しめられて来たもの、その他子細あるものなぞは、遠慮なくその旨《むね》
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