この街道を踏んで来る屋敷方は、むしろその正反対で、なるべくは江戸に踏みとどまり、宗家の成り行きをも知りたく、今日の急に臨んでその先途も見届けたく、かつは疾病死亡を相訪《あいと》い相救いたい意味からも親近の間柄にある支族なぞとは離れがたく思って、躊躇《ちゅうちょ》に躊躇したあげく、太政官《だじょうかん》からの御達《おたっ》しや総督府参謀からの催促にやむなく屋敷を引き払って来たという人たちばかりである。
 将軍家の居城を中心に、大きな市街の六分通りを武家で占領していたような江戸は、もはや終わりを告げつつあった。この際、徳川の親藩なぞで至急に江戸を引き払わないものは、違勅の罪に問われるであろう。兵威をも示されるであろう。その御沙汰《ごさた》があるほど、総督府参謀の威厳は犯しがたくもあったという。西の在国をさして馬籠の宿場を通り過ぎる屋敷方の中には、紀州屋敷のうわさなどを残して行くものもある。そのうわさによると、上《かみ》屋敷、中《なか》屋敷、下《しも》屋敷から、小屋敷その他まで、江戸の市中に散在する紀州屋敷だけでも大小およそ六百戸の余もある。奥向きの女中を加えると、上下の男女四千余人を数える
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