だ。そこへ行くと、あの伏見屋の隠居はよくそれでもあんなにからだが続くと思うよ。年はおれより二つも上だが、あの人にはまだかんかん日があたってる。」
「かんかん日があたってるはようござんした。」とおまんも軽く笑って、「あれで金兵衛さんも、大事な子息《むすこ》さん(鶴松《つるまつ》)は見送るし、この正月にはお玉さん(後妻)のお葬式まで出して、よっぽどがっかりなさるかと思いましたが――」
「どうして、あの年になって、馬の七夜の祝いにでも招《よ》ばれて行こうという人だ。おれはあの金兵衛さんが、古屋敷の洞《ほら》へ百二十本も杉苗《すぎなえ》を植えたことを知ってる――世の中建て直しのこの大騒ぎの中でだぜ。あれほどのさかんな物欲は、おれにはないナ。おれなぞはお前、できるだけ静かにこの世の旅を歩きつづけて来たようなものさ。おれは、あの徳川様の代に仕上がったものがだんだんに消えて行くのを見た。おれも、もう長いことはあるまい……よくそれでも本陣、問屋、庄屋を勤めあげた。そうあの半六|親爺《おやじ》が草葉の陰で言って、このおれを待っていてくれるような気がする……」
「そんな、お父《とっ》さんのような心細いこと
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