和宮さまは田安《たやす》の方へお移りになるから、あなたは一橋家の方へお移りなさいと言われても、容易に天璋院さまは動かなかったとありますね。それを無理にお連れ申したようなことが、この覚え書きの中にも出ていますよ。」
「あわれな話だねえ。」と吉左衛門はそれを聞いたあとで言った。
「まあ、お話に気を取られて、わたしはまだお茶も入れてあげなかった。」
おまんは次ぎの部屋《へや》の方へ立って行って、小屏風《こびょうぶ》のわきに茶道具なぞ取り出す音をさせた。
「半蔵、」と吉左衛門は床の上に静坐《せいざ》しながら話しつづけた。「この先、江戸もどうなろう。」
「さあ、それがです。京都の方ではもう遷都論が起こってるという話ですよ。香蔵さんからはそんな手紙でした。あの人も今じゃ京都の方ですからね。」
「どうも、えらいことを聞かされるぞ。この御一新はどこまで及んで行くのか、見当もつかない。」
「そりゃ、お父《とっ》さん――どうせやるなら、そこまで思い切ってやれという論のようです。」
こんな言葉をかわしているところへ、おまんは隣家の伏見屋からもらい受けたという新茶を入れて来た。時節がらの新茶は香《かお
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