衛門は容易に目をさまさない。めずらしくその裏二階に迎えたという老友金兵衛との長話に疲れたかして、静かな眠りを眠りつづけている。
 その時、母屋の方から用事ありげに半蔵をさがしに来たものもある。いろいろな村方の雑用はあとからあとからと半蔵の身辺に集まって来ていた時だ。彼はまた父を見に来ることにして、懐《ふところ》にした書付を継母の前に取り出した。それは彼が父に読みきかせたいと思って持って来たもので、京都方面の飛脚|便《だよ》りの中でも、わりかた信用の置ける聞書《ききがき》だった。当時ほど流言のおびただしくこの街道に伝わって来る時もなかった。たとえば、今度いよいよ御親征を仰せ出され、大坂まで行幸のあるということを誤り伝えて、その月の上旬に上方《かみがた》には騒動が起こったとか、新帝が比叡山《ひえいざん》へ行幸の途中|鳳輦《ほうれん》を奪い奉ったものがあらわれたとかの類《たぐい》だ。種々の妄説《もうせつ》はほとんど世間の人を迷わすものばかりであったからで。
「お母《っか》さん、これもあとでお父《とっ》さんに見せてください。」
 と半蔵が言って、おまんの前に置いて見せたは、東征軍が江戸城に達す
前へ 次へ
全419ページ中225ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング