めてある。半蔵はその居間に毛氈《もうせん》を敷いた。あだかも宿入りの日を楽しむ人のように、いくらかでも彼が街道の勤めから離れることのできるのは、そうした毛氈の上にでも横になって見る時である。宿内総休みだ。だれも訪《たず》ねて来るものもない。彼は長々と延ばした足を折り重ねて、わびしくはあるが暖かい雨の音をきいていたが、いつのまにかこの街道を通り過ぎて行った薩州《さっしゅう》、長州、土州、因州、それから彦根、大垣なぞの東山道軍の同勢の方へ心を誘われた。
 多数な人馬の足音はまだ半蔵の耳の底にある。多い日には千百五十余人、すくない日でも四百三十余人からの武装した人たちから成る一大集団の動きだ。一行が大垣進発の当時、諸軍の役々は御本営に召され、軍議のあとで御酒頂戴《ごしゅちょうだい》ということがあったとか。土佐の片岡《かたおか》健吉という人は、参謀板垣退助の下で、迅衝隊《じんしょうたい》半大隊の司令として、やはり御酒頂戴の一人《ひとり》であるが、大勢《おおきお》いのあまり本営を出るとすぐ堀溝《どぶ》に落ちたと言って、そのことが一行の一つ話になっていた。こんな些細《ささい》なあやまちにも、薩州や
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