に高くあげて深く謝意を表した。それから一同別室へ導かれ、将軍の命で昼飯を下し置かれるとの挨拶《あいさつ》があって、日本風の小さな膳《ぜん》が各人の前に持ち運ばれた。その食事は彼らオランダ人に、この強大な君主の荘厳と驕奢《きょうしゃ》とにふさわしからぬほどの粗食とも思われたという。
暇乞いはそれだけでは済まされなかった。大奥でもまたもや彼らを見たいと言い出される。年のころ三十ばかりになる白と緑の絹の衣裳《いしょう》をつけた接待役の坊主が来て、鄭重《ていちょう》に彼らの姓名年齢を尋ね、やがてその人の案内で一同導かれて行ったところは例の奥まった簾《す》の前だ。まず日本風に敬礼したところ、簾に近づいてヨーロッパ風にせよとの御意である。それに従うと、今度は歌を歌えとの命である。ケンペルは彼がかつてことに尊重した一貴女のためにものした一つをえらんで歌った。それは彼女の美とその徳とをたたえて、この世のいかなる財宝も、その貴《とうと》さには到底比べられないとの意を詠じたものであった。将軍がその意を訳して聞かせよと彼に命ぜらるるから、そこで彼はその歌をえらんだはほかでもないと言って、この国の君主、皇族
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