せよと言い、続いてケンペルはことに歌を歌うよう所望されてそのもとめに応じた。やがて道化は終わった。彼らは上衣を着、一人《ひとり》ずつ簾《す》の前へ行って、彼らの王公に対すると同様の礼でもって別れを告げた。その日、彼らが殿中で喜劇を行なったのは二時間の余であったという。
 江戸を去る前、フウテンハイムの一行は暇乞《いとまご》いとして将軍の居城を訪《たず》ねた。その時、百人番で三十分も待たせられたあとで、使節は老中の前に呼び出され、老中は属僚に言い付けて例によって一場の訓示を朗読させた。訓示は主として彼らがシナ人や琉球人《りゅうきゅうじん》の船に妨害を加えてはならないこと、オランダ船にはホルトガル人および切支丹《キリシタン》宗|僧侶《そうりょ》は一人たりとも載せて来てはならないこと、これらの条件を奉じて間違いない限りは商法自由たるべしというのであった。朗読が終わると、使節の前には二つの三宝《さんぽう》が置かれ、その三宝の一つ一つには十重《とかさ》ねずつの素袍《すおう》が載せてあった。将軍から使節への贈り物だ。使節はうやうやしくそれを受け、五つ所紋のついた藍色《あいいろ》な礼服の一つを頭の上
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