っきり覚えていなさるまい。」
「清助さん、水戸浪士《みとろうし》のことをきいてごらん。」と横鎗《よこやり》を入れるのは宗太だ。
「だれに。」
「おれにさ。このおれにきいてごらん。」
「おゝ、お前さまにか。」
「清助さん、水戸浪士のことなら、おれだって知ってるよ。」
「さあ、今度の御通行はどうありますかさ。」とおまんは言って、やがて孫たちの方を見て、「今度はもうそんなに、こわい御通行じゃない。なんにも恐ろしいことはないよ。今に――錦《にしき》の御旗《みはた》が来るんだよ。」
 半蔵の子供らも大きくなった。その年、慶応四年の春を迎えて見ると、姉のお粂はもはや十三歳、弟の宗太は十一歳にもなる。お民は夫が往《い》きにも還《かえ》りにも大火後の妻籠《つまご》の実家に寄って来たと聞いて、
「あなた、正己《まさみ》も大きくなりましたろうね。あれもことしは八つになりますよ。」
「いや、大きくなったにも、なんにも。もうすっかり妻籠の子になりすましたような顔つきさ。おれが呼んだら、男の子らしい軽袗《かるさん》などをはいて、お辞儀に出て来たよ。でも、きまりが悪いような顔つきをして、広い屋敷のなかをまごまごし
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