ク、それに米国弁理公使ファルケンボルグの人たちだ。その日、十四日は公使らが神戸運上所に集まって、京都新政府の使臣をそこに迎えるという日であった。
 幾つかの窓を通して、外人居留地と定められた区域の光景もその二階から望まれる。日本側の使臣を待つ間、公使らは思い思いにそれらの窓に近く行った。神戸は岸深《きしぶか》で、将来の繁華を予想させる位置にはあったが、いかに言っても開いたばかりの海浜だ。あるところは半農半漁の漁村に続くオランダ領事館の敷地であり、あるところは率先して工事に取りかかったばかりのようなイギリス領事館の敷地である。南の方に当たっては海も青く光っていて、港に碇泊《ていはく》する五隻の英艦と、三隻の仏艦と、一隻の米艦とを望むこともできた。だれの目にもまだ新しい港の感じが浮かばない。
 そこへおもしろおかしい謡《うた》の囃子《はやし》が聞こえる。三宮《さんのみや》の方角に起こる群集の声は次第に近づいて来る。前年の冬、徳川十五代将軍が大政奉還のうわさの民間に知れ渡るころから、一か月半以上も京坂各地に続いた「えいじゃないか」の騒ぎが、またこの土地に盛り返したのだ。その時、群集は三宮神社の前あたりから運上所を中心にする新開地の一区域にまであふれるように入り込んで来た。
 踊り狂う行列のにぎやかさ。数日前までほとんど生きた色もなかったような地方の住民とも思われないほどの祭礼気分だ。公使らはいずれも声のする窓の方へ行って、熱狂する群集をながめた。手ぬぐいを首に巻きつけて行くもののあとには、火の用心の腰巾着《こしぎんちゃく》をぶらさげたものが続く。あるいは鬱金《うこん》や浅黄《あさぎ》の襦袢《じゅばん》一枚になり、あるいはちょん髷《まげ》に向こう鉢巻《はちまき》という姿である。陽気なもの、勇みなもの、滑稽《こっけい》なものの行列だ。外国人同志の間にはうわさもとりどりで、あの「えいじゃないか」は何を謳歌《おうか》する声だろうと言い出すものがあったが、だれもそれに答えうるものがない。中には二階からガラス窓の一つをあけて、
「ブラボオ、ブラボオ。」
 と群集の方へ向けて日本びいきらしい声を送るフランス書記官メルメット・カションのような人もある。この年若なフランス人は自国の方のカアナバルの祭りのころの仮装行列でも思い出したように、老幼の差別なくもみ合いながら通り過ぎる人々の声を潮《うしお》のように聞いていた。
 そのうちに、新政府の参与兼外国事務|取調掛《とりしらべがか》りなる東久世通禧《ひがしくぜみちとみ》をはじめ、随行員|寺島陶蔵《てらじまとうぞう》、伊藤俊介《いとうしゅんすけ》、同じく中島作太郎なぞの面々がその応接室にはいって来た。当日は、ちょうど新帝が御元服で、大赦の詔《みことのり》も下るという日を迎えていたので、新政府の使臣、およびその随行員として来た人たちは、いずれも改まった顔つきをしていた。初対面のこととて、まず各自の姓名職掌の紹介がある。六か国の代表者の目は一様にその日の正使にそそいだ。通禧《みちとみ》は烏帽子《えぼし》に狩衣《かりぎぬ》を着け、剣を帯び、紫の組掛緒《くみかけお》という公卿《くげ》の扮装《いでたち》であったが、そのそばには伊藤俊介が羽織袴《はおりはかま》でついていて、いろいろと公使らの間を周旋した。俊介は先年|井上聞多《いのうえもんた》と共に英国へ渡ったこともあるからで。武士らしい髷《まげ》を捨てて早くもヨーロッパ風を採り入れているような散髪のものは、正使随行員の中でもこの人|一人《ひとり》だけであった。そこにあるものは何もかもまだ新世帯の感じだ。建築物《たてもの》からして和洋折衷だ。万事手回りかねる際とて、椅子《いす》も粗末なものを並べて間に合わせてある。
 やがて通禧は右手に国書をささげて、各国公使の前でそれを読み上げた。
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「日本国天皇《にっぽんこくのてんのう》、|告[#二]諸外国帝王及其臣人[#一]《しょがいこくのていおうおよびそのしんじんにつぐ》。嚮者将軍徳川慶喜《さきにしょうぐんとくがわよしのぶ》、|請[#レ]帰[#二]政権[#一]也《せいけんをきさんとこいたるや》、|制[#二]允之[#一]《これをせいいんして》、|内外政事親裁[#レ]之《ないがいのせいじはしたしくこれをさいせり》。乃曰《すなわちいわく》、従前条約《じゅうぜんのじょうやくには》、|雖[#レ]用[#二]大君名称[#一]《たいくんのめいしょうをもちいたりといえども》、|自[#レ]今而後《いまよりのちは》、|当[#三]換以[#二]天皇称[#一]《まさにかうるにてんのうのしょうをもってすべし》、而諸国交際之儀《しこうしてしょこくとのこうさいのぎは》、|専命[#二]有司等[#一]《もっぱらゆうしらにめいぜん》。|各国公使
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