屋に頼んで手紙を持って行ってもらった方が確かだなんて、そういう人たちだ。郵便はただ行くと思ってる。困りものだぞ。」
と言って、寿平次は出がけにお民に笑って見せた。同じ戸長でも、お民の夫が学事掛りを兼ねているのにひきかえ、兄の方はこんな郵便事務の取り扱いを引き受け、各自の気質に適した道を選んで、思い思いに出て行こうとしつつある。なんと言っても郵便制は木曾路に開始せられたばかりのころで、まだお民には兄が新しい仕事の感じも浮かばない。
この里帰りには、お民は娘お粂のことばかりでなく、いくらか夫半蔵をも離れて見る時を持った。妻籠に着いた翌日は午後から雨になって、草木の蕾《つぼみ》を誘うような四月らしい雨のしとしと降る音が、よけいにその心持ちを引き出した。彼女の目に映る夫は、父吉左衛門の亡《な》くなったころを一区画《ひとくぎり》として、なんとなく別の人である。どういう変化が夫自身の内部《なか》に起こって来たとも彼女には言えないし、どういうものの考え直しが行なわれたとも言って見ることはできないが、すくなくも父の死にあったころは夫が半生のうちでも特別の時代であった。連れ添って見てそのことはわかった。幼少な時分から継母に仕えて身を慎んで来た夫に、おそかれ早かれ起こるべきこの変化が来たことは不思議でないかもしれない。その考えから、それとない人のうわさにも彼女はよく耳を傾ける。妻籠の人たちの言うことを聞いて見たいと思うのもそのためであった。
「お民さんか。これはおめずらしい。」
門口から、声をかけながら雨の中を訪《たず》ねて来る人がある。昔なじみの得右衛門だ。お民にと言って、自分の家から鯉《こい》を届けさせるような人だ。
得右衛門も脇《わき》本陣の廃止を機会に、長い街道生活から身を退いている。妻籠の副戸長として寿平次を助けながらもっと村のために働いてもらいたいとは、村民一同の希望であったが、それも辞し、辛抱人の養子実蔵に副戸長をも譲って、今は全くの扇屋の隠居である。
「どうです、お民さん、妻籠も変わりましたろう。」
と言って、得右衛門は応接間と茶の間とを兼ねたような寿平次が家の囲炉裏ばたにすわり込んだ。温暖《あたたか》い雨は来ても、まだ火のそばがいいと言っている得右衛門は、お民から見ればおじさんのような人だ。どこか故吉左衛門らと共通なところがあって、だんだんこういう人が木曾にも少なくなると思わせるのもこの隠居だ。
「いや、変わるはずですね。」とまた得右衛門が言った。「御本陣の主人が先に立って惜しげもなく髪を短くする世の中ですからね。戸長さんがあのとおりの散髪なのに、副戸長が髷《まげ》ではうつりが悪い。実蔵のやつもそんなことを言い出しましてね、あれもこないだ切りました。その前の晩に、髪結いを呼ぶやら、髪を結わせるやら――大騒ぎ。これが髷のお別れだ、そんなことを言って、それから切りましたよ。そう言えば、半蔵さんはまだ総髪《そうがみ》ですかい。」
「ええ、うちじゃ総髪にして、紫の紐《ひも》でうしろの方を結んでいますよ。」とお民が答える。
「半蔵さんで思い出した。そう、そう、あの暦の方の建白は朝廷の御採用にならなかったそうですね。さぞ、半蔵さんも残念がっておいででしょう。わたしは寿平次さんからその話を聞きましたが。」
この半蔵の改暦に関する建白とは、かなり彼の心をこめたもので、新政府が太陽暦を採用する際に、暦のような国民の生活に関係の深いものまで必ずしもそう西洋流儀に移る必要はなく、この国にはこの国の風土に適した暦もあっていいとの趣意から、当局者の参考にと提出したのであった。それは立春の日をもって正月元日とする暦の建て方である。彼は仮に「皇国暦」とその名を呼んで見た。不幸にも、この建白は万国共通なものを持とうとする改暦の趣意に添いがたいとのかどで、当局者の耳を傾けるところとはならなかった。
お民は言った。
「なんですか、わたしにゃよくわかりませんがね、うちでもかなり残念がってはいるようですよ。」
当時、民間有志の建白はそうめずらしいことでもない。しかし新政府で採用した太陽暦もまだ試みのような時のことで、それにつながる半蔵の建白はとかく郷里の人の口に上っていた。狭い山の中ではそうした意見の内容よりも建白そのものを話の種にして、さも普通でない行為か何かのようにうわさもとりどりである。中には、彼が落胆のあまり精神に異状を来たしたそうだなどと取りざたするものさえある。
寿平次が戸長役場の方から戻《もど》って来るころには、得右衛門もまだ話し込んでいた。ふとお民は幼いものの泣き声を聞きつけ、付けて置いた下女のお徳の手から和助を受け取り、子供を仮寝させるによい仲の間の方へ抱いて行った。そこは兄が寛ぎの間に続いていて、部屋の唐紙《からかみ》のあ
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