や、戦地の方へ行って見て、自分の想像と違うことはいろいろありました。同じ官軍仲間でも競争のはげしいには、これにもたまげましたね。どこの兵隊は手ぬるいの、どこの兵隊はまるで戦争を見物してるのッて、なかなか大やかまし。一緒に戦争するのはいやだなんて、しまいまで仲の悪かった味方同志のものもありましたよ。あれは九月の十九日でした、米沢藩の兵が着いたことがありました。ところがこの米沢兵と来たら、七連銃の隊もあるし、火繩仕掛《ひなわじか》けの三十目銃の隊もあるし、ミンベール銃とかの隊もある。大牡丹《おおぼたん》、小牡丹、いれまざりだ。おまけに木綿《もめん》の筒袖《つつそで》で、背中には犬の皮を背負《しょ》ってる。さあ、みんな笑っちまって、そんな軍装の異様なことまでが一つ話にされるという始末でしょう。ちょっとした例がそれですよ。」
気の置けない郷里の人たちを前にしての千里の土産話《みやげばなし》には、取りつくろったところがない。この禰宜はただありのままを語るのだと言って、さらにうちとけた調子で、
「これはまあ、大きな声じゃ言われないが、戦地の方でわたしも聞き込んで来たことがあります。土佐あたりの人に言わせると、今度の戦争は諸国を統一する御主旨でも、勝ち誇って帰る各藩有力者の頭をだれが抑《おさ》えるか。そういうことを言っていました。七百年来も武事に関しないお公家《くげ》さまが朝廷に勢力を占めたところで、所詮《しょせん》永続《ながつづ》きはおぼつかない。きっと薩摩《さつま》と長州が戦功を争って、不和を生ずる時が来る。そうなると、元弘《げんこう》、建武《けんむ》の昔の蒸し返しで、遠からずまた戦乱の世の中となるかもしれない。まあ、われわれは高知の方へ帰ったら、一層兵力を養って置いて、他日真の勤王をするつもりですとさ。ごらんなさい――土佐あたりの人はそんな気で、会津戦争に働いていましたよ。そりゃ一方に戦功を立てる藩があれば、とかく一方にはそれを嫉《ねた》んで、窮《こま》るように窮るようにと仕向ける藩が出て来る。こいつばかりは訴えようがない。そういうことをよく聞かされました。土佐もあれで今度の戦争じゃ、だいぶ鼻を高くしていますからね。」
こんな話をも残した。
千里が荒町の方へ帰って行った後、得右衛門と寿平次とは互いに顔を見合わせていて、容易に腰を持ち上げようとしない。禰宜の置いて行った話は妙に伊之助をも沈黙させた。
「さすがに、会津は最後までやった。」と得右衛門は半分ひとりごとのように言って、やがて言葉の調子を変えて、
「そう言えば、今の禰宜さまの話さ。どうでしょう、伊之助さん、あの禰宜さまが土佐の人から聞いて来たという話は。」
伊之助は即座に答えかねていた。
「さあ、ねえ。」とまた得右衛門は伊之助の返事を催促するように、「半蔵さんならなんと言いますかさ。この世の中が遠からずまた大いに乱れるかもしれないなんて、そんなことを言われたんじゃ、実際わたしたちはやりきれない。武家の奉公はもうまッぴら。」
「得右衛門さん、」と伊之助は力を入れて言った。「半蔵さんの言うことなら、わたしにはちゃんとわかってます。あの人なら、そう薩摩《さつま》や長州の自由になるもんじゃないと言いましょう。今度の復古は下からの発起ですから、人民の心に変わりさえなければ、また武家の世の中になるようなことは決してないと言いましょう。」
「どうです、寿平次さん、君の意見は。よっぽど考うべき時世ですね。」と得右衛門が言う。
「わたしですか。わたしはまあ高見の見物だ。」
寿平次はその調子だ。
四
東北戦争――多年の討幕運動の大詰《おおづめ》ともいうべき戊辰《ぼしん》の遠征――その源にさかのぼるなら、開国の是非をめぐって起こって来た安政大獄あたりから遠く流れて来ている全国的の大争いが、この戦争に運命を決したばかりでなく、おそらく新しい時代の舞台はまさにこの戦争から一転するだろうとさえ見えて来た。
当時、この日の来るのを待ち受けていた人たちのことについては、実にいろいろな話がある。阿島の旗本の家来で国事に心を寄せ、王室の衰えを慨《なげ》くあまりに脱籍して浪人となり、元治《げんじ》年代の長州志士らと共に京坂の間を活動した人がある。たまたま元治|甲子《きのえね》の戦さが起こった。この人は漁夫に変装して日々|桂川《かつらがわ》に釣《つ》りを垂《た》れ、幕府方や会津桑名の動静を探っては天龍寺にある長州軍の屯営《とんえい》に通知する役を勤めた。その戦さが長州方の敗退に終わった時、巣内式部《すのうちしきぶ》ら数十人の勤王家と共に幕吏のために捕えられて、京都六角の獄に投ぜられた。後に、この人は許されたが、王政復古を聞くと同時によろこびのあまりにか、精神に異状を来たしてしまったという
前へ
次へ
全105ページ中80ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング