いう事です。」
景蔵はまずそれを言った。
その時、二人は顔を見合わせて、互いに木曾福島の役人衆が意図を読んだ。
「見たまえ。」とまた景蔵が言い出した。「東山道軍の執事からあの通知が行くまでは、だれだって偽《にせ》官軍だなんて言うものはなかった。福島の関所だって黙って通したじゃありませんか。奉行から用人まで迎えに出て置いて、今になってわれわれをとがめるとは何の事でしょう。」
「ですから、驚きますよ。」と半蔵はそれを承《う》けて、「これにはかなり複雑な心持ちが働いていましょう。」
「わたしもそれは思う。なにしろ、あの相良惣三の仲間は江戸の方でかなりあばれていますからね。あいつが諏訪《すわ》にも、小諸《こもろ》にも、木曾福島にも響いて来てると思うんです。そこへ東山道軍の執事からあの通知でしょう、こりゃ江戸の敵《かたき》を、飛んだところで打つようなことが起こって来た。」
「世の中はまだ暗い。」
半蔵はそれを友人に言って見せて、嘆息した。その意味から言っても、彼は早く東山道軍をこの街道に迎えたかった。
「まあ、景蔵さん、蕎麦《そば》でもやりながら話そうじゃありませんか。」と半蔵は友人とさしむかいに腰掛けていて、さらに話しつづけた。「君はわたしたちにかまわないで、先に食べてください。そんなに話に身が入っては、せっかくの蕎麦も延びてしまう。でも、きょうは、よいところでお目にかかった。」
「いや、わたしも君にあえてよかった。」と景蔵の方でも言った。「おかげで、福島の方の様子もわかりました。」
やがて景蔵が湯桶《ゆとう》の湯を猪口《ちょく》に移し、それを飲んで、口をふくころに、小女《こおんな》は店の入り口に近い台所の方から土間づたいに長い腰掛けの間を回って来て、
「へえ、お待ちどおさまでございます。」
と言いながら、半蔵の注文したものをそこへ持ち運んで来た。本家なにがし屋とか、名物寿命そばありとかを看板にことわらなければ、客の方で承知しないような古い街道筋のことで、薬味箱、だし汁《じる》のいれもの、猪口、それに白木の割箸《わりばし》まで、見た目も山家のものらしい。竹簀《たけす》の上に盛った手打ち蕎麦は、大きな朱ぬりの器《うつわ》にいれたものを膳《ぜん》に積みかさねて出す。半蔵はそれを供の平兵衛に分け、自分でも箸を取りあげた。その時、彼は友人の方を見て、思い出したように、
「景蔵さん、東山道軍の執事から尾州藩の重職にあてた回状の写しさ、あれは君の方へも回って行きましたろう。」
「来ました。」
「あれを君はどう読みましたかい。」
「さあ、ねえ。」
「えらいことが書いてあったじゃありませんか。あれで見ると、本営の方じゃ、まるきり相良惣三の仲間を先駆とは認めないようですね。」
「全くの無頼の徒扱いさ。」
「いったい、あんな通知を出すくらいなら、最初から先駆なぞを許さなければよかった。」
「そこですよ。あの相良惣三の仲間は、許されて出て来たものでもないらしい。わたしはあの回状を読んで、初めてそのことを知りました。綾小路《あやのこうじ》らの公達《きんだち》を奉じて出かけたものもあるが、勅命によってお差し向けになったものではないとまで断わってある。見たまえ、相良惣三の同志というものは、もともと西郷吉之助の募りに応じて集まったという勤王の人たちですから、薩摩藩《さつまはん》に付属して進退するようにッて、総督府からもその注意があり、東山道軍の本営からもその注意はしたらしい。ところがです、先駆ととなえる連中が自由な行動を執って、ずんずん東下するもんですから、本営の方じゃこんなことで軍の規律は保てないと見たんでしょう。」
「あの仲間が旗じるしにして来た租税半減というのは。」
「さあ、東山道軍から言えば、あれも問題でしょうね。実際新政府では租税半減を人民に約束するかと、沿道の諸藩から突っ込まれた場合に、軍の執事はなんと答えられますかさ。とにかく、綾小路らの公達《きんだち》が途中から分かれて引き返してしまうのはよくよくです。これにはわれわれの知らない事情もありましょうよ。おそらく、それや、これやで、東山道軍からはあの仲間も経済的な援助は仰げなくなったのでしょう。」
「だいぶ、話が実際的になって来ましたね。」
「まあ、百二十人あまりからの同勢で、おまけに皆、血気|壮《さか》んな人たちと来ています。ずいぶん無理もあろうじゃありませんか。」
「われわれの宿場を通ったころは、あの仲間もかなり神妙にしていましたがなあ。」
「水戸《みと》浪士の時のことを考えて見たまえ。幹部の目を盗んで民家を掠奪《りゃくだつ》した土佐の浪人があると言うんで、三五沢で天誅《てんちゅう》さ。軍規のやかましい水戸浪士ですら、それですよ。」
「それに、あの相良惣三の仲間が追分《おいわけ》の方で
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